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『魂の光』解説年間講座 第6回レポート(前編)

今日は『魂の光』解説年間講座、第6回のレポート前編を書きます。

この講座も今回の第6回でちょうど半分です。


サーンキヤ哲学

ヤが大文字だとキヤノンを思い出しますね。

サーンキヤ哲学は、インド哲学の学派のひとつです。
『ヨーガ・スートラ』を理解するにはサーンキヤ哲学の理解が必要だと言われています。

神尾先生は、秘教では常に7つの界層の絶対的座標軸を使って話を進めていくので、それに比べると神話的なサーンキヤ哲学で理解する必要はない、とおっしゃっています。実際に『魂の光』ではサーンキャ哲学の話はまったくと言っていいほど出てこないそうです。

サーンキヤ哲学では、この世の原理として、精神原理であるプルシャ(純粋精神/霊魂)と、物質原理であるプラクリティ(根本原質/物質)という2つの究極的実体原理を想定しています。

自分 ⇔ 自分以外のもの
霊魂 ⇔ 物質

という、もっとも先立つ原理の対立を示しています。

プルシャは、プラクリティの創造を「観る」のみであり、自らは創造に関与しない。しかし、プルシャはプラクリティの生み出した心と同化し、物質性を帯びてしまう。

それが、存在の苦しみ、輪廻を生み出すとのこと。


プルシャとプラクリティ

伊藤 武さん著の『図説・ヨーガスートラ』でプルシャを「プルくん」、プラクリティを「クリちゃん」と擬人化して説明がされていたのでそれをご紹介します。

♂プルくん(本名:Purusa)
暗い性格/理屈っぽい/青白い/痩せている/ニート
「狭い部屋にひとり閉じこもって、暗いことをずーっと考えていることが幸福」

♀クリちゃん(本名:Prakriti)
明るい性格/理屈ギライ/日焼けしている/たくましい肉付きのいい体/カッとすると逆切れする
「世間知らずのプルくんに、世界を経験させてやろう、と考えている」

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え、、こんな感じ??
めっちゃ相性合わなそうな二人に見えますが。。


二人のストーリー

プルくんは、働きもせず狭い部屋にひとり閉じこもって考え事をする毎日を送っていました。世間のことをただ「観て」いるだけでした。そんな引きこもり生活が彼にとっての幸福でした。
ところがある時クリちゃんを「観て」しまい彼女への愛が芽生えてしまいます。

プルくんは常にクリちゃんのことを想っていたいので、そのための器官(知を生み出す元意識・自我意識・表層意識の思惟器官)を発生させました。

プルくんは常にクリちゃんのことを感じていたいので、そのための器官(眼・耳・鼻・舌・身の5つの感覚器官)を発生させました。

プルくんは常にクリちゃんのことを触っていたい、そして交わりたいので、そのための器官(発声器・手・足・生殖器・排泄器の5つの運動器官)を発生させました。

プルくんは首尾よくクリちゃんと合体し、やがて二人の間に子どもも生まれました。
(プルくん、あのキャラでどうやってクリちゃんを口説いたのだろうか。。。)

家庭を持ったプルくんは働かざるを得なくなりました。
もともと部屋に閉じこもって暗いことを考えるのが好きだった彼にとって、世間に巻き込まれる毎日は苦しく、現実逃避を考えるようになりました。

・・・これがサーンキヤ哲学の大筋だそうです。余計わからなくなったような(笑)

ようするに、クリちゃん(=世界)と直面することによってプルくんに「私」という意識が生起して、「自分」と「それ以外のもの」の対立が生じ、それが「苦」を招く。

世界はプルシャの観照を契機に、プラクリティから展開して生じる。世界はおのれが認識することによって成立する、という哲学です。

量子力学と似ている気がする。観測をしていない(見ていない)素粒子は見るまでは存在していない、というやつ。

私、小さい時にそういう幻想にとりつかれたことあったんですよね。
今見えている範囲のものしか存在していないんじゃないかという。めっちゃ高速で振り返ったら後ろは真っ黒なのがわかるかも。と思ったりしていました。

あと、自分以外は全部偽物で役者なんじゃないかと思ったこともありました。
『トゥルーマン・ショー』という映画を観た時、おんなじこと考える人いるんだな~、と思って安心しました。

振り返るとちょっとヤバめな子供でしたね。


プルくん救済方法

話を戻して、、苦しみの生活を送ることになってしまったプルくんを救済する方法はあるのでしょうか。

それは、クリちゃんの存在しない、元の場所へと逆行していくこと。そして、それがヨーガです。

クリちゃんを観ることで発生させた運動器官を引っ込め、彼女と交わることをやめます。感覚器官も引っ込め、彼女を感じることもやめます。

ここまでは比較的簡単にできました。
でも難しいのは、心の中の彼女の思い出(samskara)を消滅させ、思惟器官を引っ込めること。これができないと、愛がぶり返し元のもくあみになってしまうのです。

難儀ですね。行きはよいよい帰りはこわい、です。


アヴィディア

苦しみを生み出す原因は、「無知(アヴィディア)」です。
本当の自分を理解していないことが無知です。

自分と知覚器官を同一化し、「私は疲れた」「私は腹が減った」といったように肉体=自分自身とみなす。

自分と感情や欲求の体を同一化し、「私は苦しい」「私はお金が欲しい」と言ってアストラル体=自分自身とみなす。

また、メンタル体と自分を同一化させ、自分があれこれと考えているとみなす。

このように自己と非自己を同一化してしまうことがアヴィディアです。

『魂の光』で「この第五根本人種において、とりわけこの第五亜人種において、この同一化は神格化の域に達している」と書かれているのですが、わしら軽くディスられてますねこれ。


7つのステップ

アヴィディアを克服してプラジュニャー(至高の智慧)に至るまでには7つの願望や感情が終息するのを体験するそうです。下記はスワミ・サッチダーナンダ著の『インテグラル・ヨーガ』で説明されている7段階です。

1)もっと知りたいという願望
あちこち走り回って外界に求めようとしても、求める知は得られないという結論に達する段階。知とは内を向くこと(自分自身を知ること)によって内側から得られるもの。

2)何かを遠ざけておきたいという願望
快楽と苦悩の体験はすべて、外界から来るのではなく、われわれ自身の心の「翻訳」なのだ、ということを理解すること。苦悩の原因が自分自身の心であることを知るとき、われわれは外の世界や他の人々を咎めずに、自分の心そのものを正そうとする。そして、事物を追い求める必要も、逆にそれらを避ける必要も感じなくなる。

3)何かを得たいという願望
心を完全に理解したと、そしてその中立的な心によって宇宙的な理解に達したときにやってくる見地。内部に知の富があるので、学ぶことによらない理解が得られるようになる。

4)何かをしたいという願望
自然とその働きを理解したときに来るステップ。
「宇宙の計画」を理解すれば、われわれには「為すべきこと」も「為すべからざること」もなくなる。われわれの心がその宇宙の心と繋がっていて、そのように行為することを促されるだけ。

5)悲しみ
1)~4)を理解した後効果としてくる。「何も為すべきことはない」と知るに至ると、チッタ(心の動き)は完全に印象から自由となる。

6)恐れ
このレベルではチッタそのものが失われる。心が完全に放下された状態。

7)惑わし
心が完全に消えてしまうとき、最後の地平が開ける。
プルシャのみが残って、彼自身の内に安らっている状態。

どうやら、いったん1つ目のステップに足を掛けたら、あとはエスカレーターに乗っているようなもので、7段目まで運ばれていく感じのようです。

でもその1つ目のステップである、「知は内側から得られるもの」ということに気づけない人が多いようです。
まあ、でもそれに気付くために今まさに外から知を得ているのですけどね。自然に気づけと言われても難しいでしょう。


「汝自身を知れ」
まずは無知であることを自覚して、自分自身に向き合うことですね!

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