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『魂の光』解説年間講座 第7回レポート(前編)

今日は『魂の光』解説年間講座 第7回のレポート前編です。

今回は、前回説明した「ヤマ」と「ニヤマ」について更に詳しく見て行きます。


マハトマ・ガンディー

マハトマ・ガンディー。前回説明したヤマの5つの訓戒の1つである「アヒンサー(非暴力」の実践と普及に尽力した人物です。

彼は生涯をかけてアヒンサーとサティア(ヤマの5つの訓戒の1つである”嘘をつかない”)に徹しました。彼自身「私は今も努力している、私はそれほど完全ではない。」と言うように、完璧な実践ではなかったようなのですが、私たちも知るように、偉大な平和の使徒としての名声を全世界から得ました。

スワミ・サッチダーナンダ著『インテグラル・ヨーガ』の中では、「もしも彼の実践が完璧であったならば、暗殺者は彼の前に姿を現した時、彼を撃とうという気持ちを失っていたかもしれない」と書かれています。

アヒンサーに徹すると、その人は調和的なヴァイブレーションを放射するようになるので、その人のそばでは全ての敵対が止むそうです。敵対する2人でも、その人のそばにいると一時的に敵意を忘れる。
野生の動物でさえ、アヒンサーに徹した者のそばでは、その残忍性を忘れるそうです。

そこまでの力は要らないけど、周りの人を和ますようなヴァイブレーションを発する人になりたいですね。
ガンディーでさえ完璧に実践できなかったというアヒンサー。非暴力を常に心がけるだけでもそれなりの効果はあるかもしれませんね。


大富豪になる方法

もし世界一の富豪になりたかったら、5つの訓戒の1つである「アステーヤ(不盗)」を実践すればよい。

もしその人が、その人の持てる物だけで満足し、盗みや貪欲とはまったく無縁で、静かな心を保ち続けているならば、すべての富がその人のもとへ来る、とのこと。

「盗み」とは目に見える物質的なものを盗むことだけでなく、アストラル界やメンタル界でも盗みをしないことも意味しています。愛や好意のような情緒的恩恵や、名声なども不当に要求することはせず、他人の義務の横取りをすることもなく、自分自身のものだけで満足する。

要は持つべき物は「必要な分だけ」で余った分は他人に分け与える、物に執着しない、そして自分自身の役割のみを果たしていく、ということですね。

これはニヤマの1つであるサントーシャ(満足すること)にもつながります。
与えられた状況に満足すると、比べることができない幸せ(至福)を得ることができるそうです。

人の価値観は時代と共にだいぶ変化してきていて、「高級時計を身に着け、高級マンションに住み、高級外車を乗り回す。」みたいなことが人生の目標である人は少なくなってきてはいますが、それでもまだ「持つもの」と「持たざるもの」で分断されている世の中ですよね。

ひとりひとりがアステーヤを実践すれば、余った食べ物が大量に捨てられている国の裏側で、空腹で命を落とそうとしている子供がいる、という世の中にはならないはずだと思います。
今の政治・経済は、いかに私腹を肥やすか、他国から富を奪うか、とアステーヤの真逆を行っていますよね。


禁欲

昔から、宗教などで「禁欲」が課せられるのはなぜなのだろう、と思っていました。自然の摂理から言っても、その行為自体を「悪」だとして禁じるのはおかしいと思いませんか。

禁欲はヨーガでも、5つの訓戒の1つとして大事な要素となっています。ただ、悪しき行為として完全に遠ざけておかねばならないという意味ではないようです。アステーヤの精神とも繋がりますが、必要以上に行うことはよろしくない、ということです。

エネルギー的にも、禁欲を守ることによって、性エネルギーは「オージャス」と呼ばれる精妙な霊的エネルギーに変わるそうです。このエネルギーが、人格全体を調整し、神経を鍛え、頭脳の力を増して、心を穏やかにする、とのこと。

そして、「オージャス」は蓄えられると「テージャス」というオーラとなって輝くそうです。
炭素が長い間土中で高圧の機密状態にあることでダイヤモンドになるのと同じように、精液も変化して光を放射する、とのこと。精液が光に。。。イメージがつながりませんがね。

秘教では、エネルギーの変換のことを「変性」と呼んでいて、性のエネルギーは仙骨センターから喉センターへと変性されます。発声器官を通しての顕現、つまり「言葉による創造」というダイナミックな表現へと変性されるのです。


浄化の向こう側

ニヤマの1つであるシャウチャ(清潔を保つ)を実践すると、自分の体さえ不浄だと感じるようになるそうです。

そして、その不浄なものを一時的に取り繕う行為、例えば汗の臭いがするからデオドラント剤を吹き付けるとか、肌が汚いから圧化粧をするとか、が全く意味のない行為だということがわかり、身体に興味を持たなくなる。

自分の身体が汚穢のかたまりだと思うようになると、他人の身体にも魅力を感じることがなくなっていくので、色欲に翻弄されることもなくなっていく。

そして今まで身体のために使われていた時間を、身体よりも深いものへの探究に使うようになる。

最後には自分は「身体」ではなく真の「自己」であると悟り、もはや二つの身体を結びつけることには興味を持たなくなる、とのこと。


このように見ていくと、いくつかのヤマ・ニヤマが関連し合っていたり影響し合ったりしていますね。
全部を完璧に実践することは厳しいですが、できそうなところからできる分だけやっていくと、だんだんレベルアップしていけるのではないか、と思いました。

実践編である「第二の書」、得ることが多いです。

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