バランスを戻す

【詩】


彼女は34歳の誕生日に突然気持ちが混乱し

道端で立ちすくみ一歩も動けなくなった

気づいたら両の目から大量の涙が溢れ

道ゆく人たちが覗きこむように彼女の顔を見ていった

辛うじて携帯で連絡した知人に病院に連れて行かれ

医者から「バランスを崩した女」の称号を与えられた

崩れたバランスを調整するために

彼女はあらゆる方法を試みた

一日目、彼女は起きあがることを放棄し

毛布を頭からかぶり終日ベッドのなかで過ごした

二日目、彼女はバッティングセンターへ行き

掌のマメが潰れるまで300球のボールを追った

三日目、彼女は一日中新宿の街を歩き

目に映る人の数を5万人まで数え続けた

四日目、彼女は10キロ先の公園まで歩いて行き

池に棲む鯉と鴨と亀に1キロの餌をあげた

五日目、彼女は親しい女友達を呼び出し

昼間から意識がなくなるまで飲み続けた

六日目、彼女は再びベッドのなかで過ごし

夢と現実の中間的な幻覚をいくつも見た

七日目、彼女は病院へ行き医者と話し

さらに強い薬を3種類与えられた

八日目、彼女は親しい男友達を呼び出し

立て続けに8回のセックスをした

九日目、彼女は車で海まで走り

浜辺に寝ころび沖を行く船を数えた

十日目、彼女は手当たり次第に神社仏閣を訪ね

ただただ無心で両掌を合わせた

十一日目から二十日目までを彼女は

部屋に籠って百篇の詩を書いて過ごし

二十一日目から三十日目までに彼女は

これまでの人生を5万字の小説にまとめた

二ヶ月目から六ヶ月目まで彼女は

一ヶ月目とほぼ同じことを繰り返し

七ヶ月目から十二ヶ月目までに彼女は

詩人と恋に落ちデートを重ねやがて別れた

ちょうど一年目の朝、目が覚めると部屋のなかに2匹の蝶が飛んでいた

彼女はベッドから起きあがらずに、目だけを開けて不規則な軌道を描く蝶を見た

カーテンの隙間から朝日が射し込み、光の筋が部屋を斜めに遮っている

二匹の蝶は光の筋を避けるように、上へ下へと舞い続ける

光は徐々に強くなり部屋全体が明るくなると、2匹の蝶は部屋の隅に追いやられ、やがて光に溶けた

彼女はベッドから身を起こし、窓のカーテンを左右に開き、ガラスサッシを開け放った

陽の光は一年前と変わらず、太陽は東の空を昇った

「そして、夕方になると西の空を茜に照らし、遠くの山に沈む」

彼女は唇を噛みしめて、瞬きもせずに太陽を見つめた

tamito

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#詩

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