宗教くささは必要である
僕は宗教くささが嫌いだ。
例えば、どういうのかというと
「みんなの笑顔を〜〜」
「愛と勇気で〜〜」
とか。正直寒い。
今でもやっぱそう思う。僕の目指す「面白く生きる」というのは、とっつきやすくて、プッと笑ってまうリリーフランキーの小説のような生き方である。
そこに宗教くささはいっさいなくて
人間くさい自然体のクレイジーな人間の生き様がある。
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最近、すごい人に出会った。
詳細は言えないけど、1年にいくつも講演してたり、様々な会社のアドバイザーになっている人だ。
その方は、僕の考える所謂「宗教くさい人間」だった。「人生が〜」とか「愛で〜」とか
ただ、
その方が今まで出会った「宗教くさい人間」と違っていたのは
圧倒的な結果を残してきた人だった。あと圧倒的に話が面白い。
ゆえに、その人に関わっている人は本当に多い。10000人じゃ足りないかも。
仮に10000人だとして。
そういう10000人とかを動かす人は宗教的な話をしないと多くの人を動かせないんだと思った。
もちろん、人間だれにでも個々の事情、悩みがある。
そういう細々した事情をぐるっとまるめて話をできるのが宗教である。
多くの人や、大きい物事を動かす必要性があるとしたら、宗教くさくなるのは必然であると思った。
宗教くささを出してもいいんだね。
ただ、リリーフランキーのような面白さも併せ持ちたいねえ
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