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『シュガー・ラッシュ:オンライン』と『ロジャー・ラビット』が開けたパンドラの箱

2018年12月21日に公開された『シュガー・ラッシュ:オンライン』は、ディズニー映画としては『シュガー・ラッシュ』の続編でありながら、ディズニー映画史に名を残すであろう非常な重要作、神作、そして問題作であった。
この度、過去に同じ役割を担った作品『ロジャー・ラビット』との比較から、『シュガー・ラッシュ:オンライン』の役割を確認していきたい。

ディズニー映画の歴史と功罪

ディズニーの映画は、大きく分けて二つの「黄金期」と、ひとつの「暗黒期」、そして、評価こそ定着していないものの「黄金期」と「暗黒期」を一つづつ持っている21世紀に分けることができる(本項の公開年はすべてアメリカ合衆国準拠)。

ウォルト・ディズニーによる長編カラーアニメーション『白雪姫』(1937)の公開から、1966年のウォルト・ディズニーの死去までの期間を「黄金期」と呼んでいる。『白雪姫』、『ピノキオ』(1940)、『ダンボ』(1941)、『バンビ』(1942)や、『シンデレラ』(1950)『ふしぎの国のアリス』(1951)『ピーター・パン』(1953)、『眠れる森の美女』(1959)などの中に、一度は聞いた名前があるだろう。最後になるのは、ウォルト・ディズニーの遺作とも言える『ジャングル・ブック』(1967)だ。
これらの作品の特徴は、ウォルト・ディズニー自身の強い思いや希望が載せられていることだろう。その具体例には「アニメーション表現の拡張」が挙げられる。
長編カラーアニメーションとしてしばしば初と数えられる『白雪姫』、ステレオ(左右で別の音を鳴らす技術)を映画に初めて取り込んだ『ファンタジア』(1940)、実写映像とアニメーションを合成していっしょに踊らせることに初めて本格的に成功したと言われる『三人の騎士』(1945)、先駆けてトレスマシンを利用した『101匹わんちゃん』(1961)など、枚挙に暇がない。
又、「原作改変」とマイナス点に見積もることも多いディズニーオリジナルの物語は、ウォルトの希望によるところが多い。陰鬱な社会風刺を冒険活劇に作り換えた『ピノキオ』では、ピノキオが原作では意地悪であるのを向上心があるよう作り直した。『不思議の国のアリス』の原作は実は2つある。小説『不思議の国のアリス』からシナリオを、小説『鏡の国のアリス』からキャラクターを拝借しているのだ。更に、『ピーター・パン』では、ピーター・パンが原作よりも残酷な行動を控えて正義感に溢れていたり(ディズニー作も大分ひどいとは思うが……)、フック船長が紳士的な性格からせっかちでおとぼけになっていたりする。

次いで訪れたのが「暗黒期」である。ウォルトの死後、ディズニー映画のクオリティが低迷したとされる時期である。『ロビン・フット』(1973)、『ビアンカの大冒険』(1977)、『きつねと猟犬』(1981)、などのマイナー作品や、ディズニー映画屈指で評価の悪い『コルドロン』(1985)などもある。これらの作品の中には名作も勿論あるが、無論のこと、「黄金期」の作品よりも知名度が低いのは明確だろう。短編映画を集めた『くまのプーさん 完全保存版』(1977)もこのときである。

1989年『リトル・マーメイド』の公開が「ディズニー・ルネサンス」、又の名を「第2次黄金期」という時期をもたらした。
この時代の注目ポイントは大きく分けて二つだと考えてよい。
ひとつは、『リトル・マーメイド』の後に二つの流派が生まれ、ディズニーの礎となっていくことだ。言い換えれば、ウォルト以外の創るディズニー作品が認められるようになっていくことで、監督の重要性が増し始めるのだ。
『リトル・マーメイド』の監督コンビであるジョン・マスカーとロン・クレメンツは『アラジン』(1992)、『ヘラクレス』(1997)とコメディタッチの軽快な作品を生む。一方、ゲーリー・トゥルースデイルとカーク・ワイズのコンビは『美女と野獣』(1991)、『ノートルダムの鐘』(1996)に見られる重厚で芸術的な作品を創った。
そして、これらの映画はどれもミュージカル映画の様相を呈しており、キング・オブ・エンターテイメントを自称する『ライオン・キング』(1994)や、実写映画が話題の『ムーラン』(1998)もこの時代に作られた。アラン・メンケンなどの有名楽曲製作者が登場する。
二つ目に、ディズニーによる自己改革が始まったということだ。上の作品群が取り組んだのが「プリンセス像」の改革だ。これまでの「黄金期」の作品の白雪姫やシンデレラ、『眠れる森の美女』のオーロラなどは、「いつか王子様が来てくれる」と信じていた。然し、女性は受身であることがすべてではないという世論の流れに対するように、『リトル・マーメイド』のアリエル、『美女と野獣』のベル、『アラジン』のジャスミン、同名映画のムーラン、ポカホンタスなどは自発的に男性を探しに行く意思を持っていて能動的に恋愛をしたり(正しくは恋愛をすることが許されたり)、そもそも恋愛に興味がなかったりする。こうした女性の役割の変化は、ディズニー映画の中にも完全ではないとはいえ反映されている。
一方で、「プリンス像」の改革もある。「黄金期」のプリンスは完全無欠、清廉潔白で女性の理想を体現していたし、少なくとも作中でプリンスが主役になることはなかった。彼に与えられたのはポジションであり、「プリンセスをゲットしにくる勇猛果敢な男」の姿だった。一方で、「ディズニー・ルネサンス」のプリンスは、『リトル・マーメイド』のエリックが描写され、『美女と野獣』の野獣は映画のもうひとりの主人公になった。本作は彼の葛藤をエンジンとしている。『アラジン』では、王子に扮した貧乏人のアラジンが主人公である。このようにして、男性にもキャラクター、人格が与えられたのである。

そして、21世紀に入ると再び「暗黒期」が訪れ、『プリンセスと魔法のキス』(2009)のあたりから「第3次黄金期」が訪れる。これらは近年「ピクサー時代」「ジョン・ラセター黄金期」などと評価されることがある。
ディズニー配給でピクサーが公開した『トイ・ストーリー』(1995)を契機に、『モンスターズ・インク』(2001)、『ファインディング・ニモ』(2003)、『カーズ』(2006)などが席巻し、ディズニー映画は業績とイメージの振るわない時代となる。これが21世紀の暗黒期である。
ところが、『ルイスと未来泥棒』(2007)では製作総指揮にジョン・ラセターが入る。ジョン・ラセターといえば、「トイ・ストーリー」シリーズや『バグズ・ライフ』(1998)、「カーズ」シリーズで監督を、他の作品にも製作総指揮で広く参加したピクサーのメインクリエイターだ。上々だったピクサーの彼がディズニー映画の製作に参入すると、『ボルト』(2008)、『プリンセスと魔法のキス』、『塔の上のラプンツェル』(2010)、『シュガー・ラッシュ』(2012)、『アナと雪の女王』(2013)、『ベイマックス』(2014)、『ズートピア』(2016)、『モアナと伝説の海』(2016)と製作総指揮を務める。これらは『プリンセスと魔法のキス』を除きCG映画であり、ピクサーが長編全編CG映画を作った点の影響を受けている。

こうした歴史観をある程度でも知っておくと、ディズニー作品各々を鑑賞する際にもより幅広い楽しみ方ができると思う。

ディズニー・ルネサンスの先駆け『ロジャー・ラビット』

時代は1970年代に戻る。先に紹介したとおり、ウォルト・ディズニーの死後はディズニー映画黄金期が終了し、売り上げとクオリティの低迷が続くことになる。そして、ここで登場したのが「タッチストーン・ピクチャーズ」。これはディズニーの映画部門のひとつで、主に大人向けの映画製作に携わっている。

ウォルト・ディズニー社は1923年の創業以来、多くの傑作アニメーション映画を生み出してきた。短編アニメ、長編アニメ、カラーアニメなど歴史に残る業績を残したが、ウォルトの死後(1966年)低迷し、1990年代に再び黄金期を迎えた。(Wikipedia『ウォルト・ディズニー・カンパニー』項より)
1979年にディズニーが製作した『ブラックホール』は、ディズニー映画としては初めてPG指定を受けた。1984年、ロナルド・W・ミラーはPG指定を受けるような大人向けのディズニー映画を作るための部門としてタッチストーン・ピクチャーズの前身であるタッチストーン・フィルムを設立する。(Wikipedia『タッチストーン・フィルム』項より)

映画『ロジャーラビット』はタッチストーンの3作目として1988年に発表された。7000万ドルの制作費をつぎ込んだこの映画は世界興行収入3億3000万ドルを達成。翌年の『リトル・マーメイド』が2億1000万ドルだったことを考えると偉大な金額である。実は、ディズニー・ルネサンスに先駆けて成功を収めているのだ。

米興行収入は、タッチストーンとしての処女作『スプラッシュ』が7000万ドル、次作『ハスラー2 』が5000万ドルであり、『ロジャー・ラビット』が1億5000万ドルである。映画『ロジャー・ラビット』はタッチストーンとしても、ディズニー本社としてもかなりの進歩なわけだ。

監督はロバート・ゼメキス、製作総指揮にスティーヴン・スピルバーグ、音楽にアラン・シルヴェストリ、そしてドゥーム判事役にクリストファー・ロイドを起用している。1985年の『バック・トゥ・ザ・フューチャー』を思わせる布陣で、ディズニー・ルネサンスが見せる「監督の映画」の礎を組んだ。
そもそも、『ロジャー・ラビット』の企画は1981年から始動していたが、ロバート・ゼメキスの能力が未知であったことで暫く製作が中断されていたようだ。『バック・トゥ・ザ・フューチャー』の成功と、スティーヴン・スピルバーグの参入が、作品を一気に完成に漕ぎつけたのである。

ディズニー界の異端児、ロジャー・ラビット

元々この映画には原作小説があり、それを買い取って映画化したのであるが、その内容は奇怪かつ面白いものになっている。

舞台は1947年のハリウッド。この世界では、アニメーションキャラクターである「トゥーン」と人間が共存しており、トンネルを潜った先にある「トゥーンタウン」にアニメキャラクターが住んでいる。アニメーション映画は彼らのドラマを撮影し上映しているものだったのだ。
主人公のロジャー・ラビットはトゥーンの映画スターだが失敗続き。そんな最中、もうひとりの主人公で人間、私立探偵のエディ・バリアントは、彼の妻であるジェシカ・ラビットの浮気を激写する。お相手はトゥーンタウンの権利者であるマービン・アクメ。然し、悲しみの淵にくれるロジャーは翌朝、衝撃の事実を知った。マービン・アクメが殺害されており、その嫌疑がロジャーにかけられていたのだ。そして、エディ・バリアントのもとへロジャーは滑り込み、真犯人を探すミッションをはじめる。事態はより深刻だと気付かぬままに……。

この映画は現代のディズニーのイメージを逆行するような暑苦しい中年男性探偵によるハードボイルドなミステリーで、登場する言葉やトリックは難解、ブラックジョークやえっちなジョークも満載で、その衝撃的かつ意味深なラストは圧巻で一見の価値ありである。
なお、今後の文ではストーリーに直接は関係しない、トリビアと呼ぶ程度のシーンについてのみかなり言及する。個人のネタバレ耐性によってブラウザバックしてほしい。

ロジャーラビットの特異点

この映画の何よりの見所はディズニー映画としての矜持とクオリティ、イメージやアニメーション、迫真の演技を維持しつつ、従来のディズニーに対するイメージを粉々に粉砕したことだ。後世に残る有名なディズニー映画を観ても、これほどまでに激しい映画はないだろう。

本作には個性的なふたつの手法が用いられた。
ひとつめに「実写とアニメーションの合成」。米1946年に公開された、後にスプラッシュ・マウンテンを生む『南部の唄』同様に実写映画にアニメーションを合成する手法で製作されたが、これは俳優の演技に後からアニメーションを描き込むものだ。

舞台は1947年のハリウッド。トゥーン(アニメーションキャラクター)が実社会に存在しているという設定で、トゥーンと人間の関係を描いている。先に撮影された実写にアニメーションを合成する形で制作された。1988年のアカデミー視覚効果賞・アカデミー編集賞・アカデミー音響効果賞を受賞。(Wikipedia『ロジャーラビット』項より)

この「『トゥーン』が実社会に実在している」という点から、もうひとつの手法が導かれるが、それがクロスオーバーだ。本作はディズニーキャラクターのみならず、ワーナー・ブラザースからバッグスバニー、パラマウント映画からベティ・ブープなど、アメリカンアニメーションの黄金期を築き支えてきた多くのキャラクターが登場する。スーパーマンやポパイなど、権利関係のトラブルで出演が叶わなかったキャラクターも含めると相当な顔ぶれだ。ワーナー・ブラザースによるダフィー・ダックとディズニーの看板キャラクターであるドナルド・ダックによるピアノ対決(東京ディズニーランドのアトラクションでも聴くことができる)などのシーンは本作ならではだし、クスッと笑うことになるだろう。

『シュガー・ラッシュ:オンライン』は『ロジャー・ラビット』の再来か

本記事のタイトルに移る。『シュガー・ラッシュ:オンライン』は、『ロジャー・ラビット』の再来と呼ぶに相応しい映画であると考える。……考えるというか、ロジャーラビットを知る多くの方がこの感想を抱くのではないか。ここにみっつの共通点がある。

①世界を巻き込むクロスオーバー
如実にその姿が似るのはクロスオーバーという手法についてだろう。アメリカンアニメーションを創ったトゥイーティーやドルーピーといった彼らの姿は、現代社会を支えるTwitterやAmazon、ebayなどと同じ形をしている。ディズニーキャラクターのみではなく、世界を巻き込んであたかもその世界に入り込んだようなディティールが魅せる世界観はなんとも見事且つ絶妙なバランスだ。

②ディズニー映画のイメージを変える役割を担う
女性的魅力をこれでもかと盛り込んでデザインされたヒロインのジェシカや、アニメなので歳をとらないが六十代に突入した「還暦乳児」であるベビーハーマンが煙草を吸う姿は、『ロジャー・ラビット』がタッチストーンによって作られ、大人向けの映画として作られた背景に大きく裏付けされる。

ウォルトの死後、低迷期を経たディズニー社は、1980年代に「主要な観客は彼女らの家族である」とした。(Wikipedia『ウォルト・ディズニー・カンパニー』項より)

後にディズニーはこの方針によって女性や子供に対する人権問題を抱えることになるが、『ロジャー・ラビット』は黄金期とウォルトの死を受けスランプに陥ったディズニー映画のある意味での救世主として、今後の方向性に疑問と提案を投げかけるその役割を担うことになったのだと考えられる。「ディズニーはおもしろいものを創るぞ」という力強さが感じられる。
『シュガー・ラッシュ:オンライン』も、同じ役割を与えられたところである。

イメージを守るため、キャラに“やらせてはいけないこと”を指示されることもなく「それどころか、もっとやってって感じでした。アイアンマンを出そう! イーヨーも忘れずにね! って」(ふたつ目の記事から)

『シュガー・ラッシュ:オンライン』に下された使命は「ディズニーを神聖なものとしない」こと。特にディズニーは、マルをみっつ描くだけで訴訟されると言われるくらい突拍子も無い噂が立つのだが、近年のディズニーは、ファンの要望で監督がモブキャラに名前をつけるほどに二次創作に寛容になった。事実に反した神聖視がディズニーのイメージを固めていったのだが、シュガーラッシュオンラインはこれまでのプリンセス像に自ら疑問を投げかけたりだとか、ディズニーキャラクターにかなり自由なアクションをさせるといった点でかなりその功績を残せたのではないだろうか。「えっこれをディズニーがやるのか」と若干引くレベルで織り込んできたネットスラング的なノリにいい意味で困惑させられた。

③新たな黄金期を作る
『ロジャー・ラビット』は、ウォルトの死後に訪れたスランプを解消する一作としての役割もそれなりに果たすことになったと思われる。
実写化と続編ラッシュに拍車のかかる2018年のディズニーに待ったをかけるのが、『シュガー・ラッシュ:オンライン』だ。本作自体は続編にあたるというのは皮肉なものだが、前作を受けてストーリーの構成や舞台、キャラクターの扱いを根本から覆した本作は実質的に別の作品として捉えられる。
過去のディズニーのテーマ「女性と子供向け」を完全に消し去ることはせずとも、新たな道を開拓した『ロジャー・ラビット』同様に、『シュガー・ラッシュ:オンライン』は過去のディズニープリンセスや多数のキャラクターを魅力的に描きつつ、その在り方に別の方向性を見出したのである。シュガーラッシュオンラインが描こうとしたメッセージは明確だが、その背後には別のシグナルが点滅していて、それをはっきり捉えることは難しい。一方で、この映画が過去のディズニーに対する自虐であり、それも5日で1億ドル稼ぐ自虐であることは間違いないのである。

両映画唯一の相違点

これまで『シュガー・ラッシュ:オンライン』と『ロジャー・ラビット』の合致点について考えてきたが、このふたつの映画には決定的な違いがある。
それは「ヴィランの在り方」だ。ジャンルをミステリーと評価される『ロジャー・ラビット』では、最終的に明確かつ極悪な真犯人が指摘されるシーンがある。一方で『シュガー・ラッシュ:オンライン』は『ロジャー・ラビット』及び前作『シュガー・ラッシュ』と大きく異なる「お前が悪役だったのか!」という展開が用意されている。これまでのディズニーが描いてきたストーリーとはまたひと味もふた味も違うラストに衝撃を受けるだろう。

おわりに

この2作はメッセージこそ深く読み取りにくいものの、ディズニー映画史の中で重要なポジションを占める・占めることになることはほぼ間違い無いだろう。古くて新しい名作『ロジャー・ラビット』と、最新技術が最新のディズニーを描き出す『シュガー・ラッシュ:オンライン』。是非とも改めて目を通してみてほしい。

※本記事は、はてなブログ「Think with Entertainments!」内より『シュガーラッシュ:オンラインはロジャーラビットの再来か』を書き改めたものです。


【ネタバレ】ゆるく詳しく、両作品が描く「ヴィラン」とは?

以下には、『ロジャー・ラビット』『シュガー・ラッシュ』『シュガー・ラッシュ:オンライン』の盛大なネタバレあり。その他『モアナと伝説の海』『ベイマックス』『ズートピア』『マレフィセント』『マレフィセント2』『アラジン』(2019)などに触れる。

『ロジャー・ラビット』で登場する一連のイベントの真犯人は、トゥーン達を裁く立場にあるドゥーム判事と彼の仲間のトゥーンパトロールのイタチらだった。彼らはトゥーンタウンをインク溶解液「ディップ」で消し去って、フリーウェイという片側6車線道路の高速道路の建設して大儲けすることを目論んでいたのだ。彼らは基本的に本作で絶対悪として描かれ、多くのトゥーンの命を奪ってまで功績を創りたい。

『シュガー・ラッシュ:オンライン』の前身である『シュガー・ラッシュ』では、キャンディ大王……つまるところのターボが「悪役」だった。緻密なストーリーから最終的に姿をあらわす彼は、ゲームセンタートップゲームとトップレーサーの座に固執して失踪と抵抗を繰り返すという悪行を働いてたわけだが、彼もまた自身の地位と名誉にしがみつきたがる悪いヤツとして描かれる。「ラルフも辿る可能性のあった道として描かれている」という評も無理もない。

だが、オンラインの悪役はラルフだった。まさかのらるふ。彼はもともと悪役でしたが前作で「悪役面のヒーロー」であることが証明されて、今作では「悪役面のヒーローだけど実は悪役」で、最後は成長して「悪役面のヒーローだけど実は悪役で、成長してヒーローに舞い戻った」わけである。ややこしいけれど、この変化はとても面白い。彼はただの悪役ではなくて、ヴァネロペに不憫な扱いを受けるあまり彼女に対する友情が牙を向いてしまうという、とっても悲しい悪役なのである。だから、悪役はラルフだけどそれを倒すのもラルフ。今作の表向きのメッセージはこの「正義だと思っていることが悪でもある」「変わる友情が強くなる」ことなのだ。

近年のディズニー映画はそうした系譜の上に……つまり「解放」と「多様性」に立脚している場合が多い。2010年代は、純粋無垢なヴィラン(??)のいない映画が多い時期だった。『モアナと伝説の海』は改心と懺悔の映画だし、『ベイマックス』『ズートピア』では、悪役にも共感できる動機が与えられた。本文では『シュガー・ラッシュ:オンライン』と対比しているディズニー実写映画だが、その点で時代のカラーは引き継いでいると言える。『マレフィセント』(2014)と『マレフィセント2』(2019)では、『眠れる森の美女』からバイアスを取り除き、価値観の逆転を試みた。『アラジン』(2019)では、ジャファーに支配欲の根源が設定され、元はアラジンと同じ盗賊の身分だったことが明かされた。加えて、ジャスミンにもより積極的なキャラクター付けがされている。これらは、嘗てのディズニーアニメーションのバイアスを書き直し、より現代風にアップデートしたものだ。
そうそう、最後に皮肉なのはヴァネロペがゲーム機「シュガー・ラッシュ」を離れてオンラインレースゲーム「スローターレース」に移籍することだ。ターボがやったことと大して変わらないけれど、受け入れてくれる仲間がいるか否かで善悪が変わる。『ロジャー・ラビット』はウケたからいいけど、万一コケてたらディズニーの黒歴史になってたかもしれない。

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