見出し画像

狂人の自粛生活

最近、歌っている顔に見えるトランプ大統領の写真を集めていると言ったら、姉は表情を変えること無く
「二週間軟禁状態になると人はおかしくなるらしい」
と言った。私がそれだと言いたいんだろう。
私は否と答えた。何故なら、生来の出不精により一部の体調不良を除いてはなんの不便も感じていないからだ。ちょっとの美味しいものと、アマゾンが頼めさえあればそれでいい。友人に関してはラインさえあれば、寂しさを感じない。それは即ち人として欠けているということであろうか?

幸か不幸か、生まれて今まで私の周りには常に特殊な能力を持ったひとがいつも居た。
超能力が使えるとかそういうのでは無く、見たものを一度で覚えられたり、何カ国語も操れたり、職業的な技能が長けていたり、美術に長けていたり、人の気持ちに敏感だったり、才能は様々だが、それを目の当たりにするたびに何もない自分に劣等感を抱いていた。
しかしながら、そういう人に限って「一般的に当然にできるであろうこと」ができないことに気がついた。
もちろんそういう人だけではないことは承知しているが、私はこう言った人をこう比喩している。

能力ステータスの振り方をミスった人

自粛生活に入ってから数人に連絡をとってみたが、彼らもまた、自粛生活に関して不便はあるものの特に気にしていないようだった。

ちなみに私は、コロナが日本で流行る数週間前から不眠症から夢遊病を発症し、「特殊な人」に仲間入りした。嬉し恥ずかし同じ穴のムジナ。

就寝後深夜、積極的に友人に連絡を取り、なんなら夢遊病の話もし、あつ森のローンを一括返済し、Amazonを注文し、模様替えもし、別銀行の自分の口座に振り込みをし、職場の「清水さん」を探して家中歩き回ったりしているらしい。

「どうせなら、私が寝てる間に仕事しといてくれよ!」

毎朝、前の晩からの違い探しにいい加減腹が立ったので、怒ると数日後から仕事のタスクを進め、同僚へ伝えることをメモ帳にまとめてくれるようになった。全く覚えてはいないが、少なくとも私にとってはどうやらかなりいい人のようだ。

狂人を定義するとなんなんだろうか?
範囲はどこまでか?

自粛でストレスから精神を病む人、先述のもともと特殊な人、そして自身。
コロナが始まってよくこのことについて考えるようになった。狂人というとサイコパスのようなイメージがあるが、そうではないはずだ。
そして、彼らが生まれるのはこんな時期だからというわけではない。それらは常に私たちの生活の隣に潜んでいる。

私は気が短いので、それらの欠けた人に対して腹が立つことが多々ある。だが、人生を喜劇とするならば、アクの強い配役がいればいるほど幕が開けた時の展開が面白いのは、私の経験上保証できる。

しかしながら。
それが言えるのは私がもはや狂人だからだろうか?

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?