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コロナな時期に思ったこと⑥

何に腹が立っているのかを考える

芽が出た緑豆を朝ごはんに食べる。

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インドに行くと、よくホテルの朝ごはんに出てくる一品。プチプチした食感が好き。緑豆を水に浸しておくと芽が出てくる。可愛い〜。食べちゃうけど。

今日、こんなツイートを見た。安田菜津紀さんというジャーナリストのツイート。この動画も落ち着いた声で話される様子がよても良かった。

日本では日ごろから、「批判の仕方」だけではなく、「批判」そのものがまだ、「場を壊す」「空気を読めていない」とタブー視、嫌悪されがちだと思う。だけど、社会をよくするためには、時に批判は欠かせないもの。自分の生活が脅かされそうになったとき、声をあげていいんだよ、と伝えていきたい。

そうなのよ。ほんまこれ。

あたしは割と「これは良くないと思う」とか「あたしはそう思いません」を言うほうだと思う。大事だと思うほど、はっきり言わなければと思う。

「それはどうして?」「じゃあ、どうしようか?」と話が進んで、お互いにの思いを話合えたら、方向が違っているとしても、その人とはグッと距離が縮まるし、それについて真剣に考えて、大事に感じられる。

でも、機嫌を損ねられたり、文句を言うなとか、わがままだとか、勉強してない、わかってないと言われると、もうこの場所、この人には本音は言えないなと思う。言っても、どうせ聞いちゃいねぇよなと退散する。人の気持はコントロールできないし、あたしのissueではないからさ。さようなら〜である。

今回のコロナの問題は大事な問題だと思うから、もちろん、考えたことも、感じたこともたくさんあって、政府の行動から誰かの主張まで、「そうや,そうや」と思ったり、「これは良くないと思う」や「あたしはそう思わない」と思ったりしている。でも、そういうNO!な意見に対して、文句を言うな、批判をするなもたくさん見かけた。あーこれ、来たわー。苦手なやつやー。

でもね。

いつもなあ「まあ、ええわ。言うてもムダ。時間のムダ。さようなら〜」やけど、今回はそんな訳にはいかへんと思ってる。どれも自分や自分の大事なものに直結する問題だから。それと自分は当てはまらなくても、明らかに機会が均等でないことにも声を上げたい。スタートする機会、参加する機会が均等ではないのはフェアじゃない。スタートした後は運や才能、人脈、人柄、努力などなどで結果が違うのは当たり前だけど、スタートはできないとねぇ。あたしらだって「女は勉強なんかしなくていい」って言われてた時代があることを考えると、スタート地点にはみんなが立てるようになって欲しい。

だから、文句を言うなと言われても、良くないと思う事には、良くないと思うと表明する。牛肉券いらん!マスクいらん!と。こうして声を上げたから改善されたこともあるし、今まで声が足りなかったからこんな体制になっているとも言えるしね。声をあげる。

代案がないって?知らんがな。わしは政治家でも官僚でもないんやから、そんなもんはプロが考えてんか。あんたらその道のプロやんか。買ったものが不良品で、「これでは困る」って声を上げて、「どう修理したらいいかわからん奴が、困るって言うな」って言う?

でも、NO!を言う時に、今回、やろうと思っていることがある。「わたしは何に引っかかっているんだろう?」「どうなったら受け入れられるんだろう?」って考えること。確かに、読んでて「なんでも人のせいかよ」「ほんで自分はどうしたいん?」と言いたくなるようなポストやコメントもある…たぶん怒りや正義感に燃えてはるんやろな〜と思うんやけど。あれは嫌。「文句言うな」も思考停止やけど、あれはあれで思考停止。

なので、「自分の不安から何にでも反対したくなっているのか?」「信頼してない人の提案だから、内容と関係なくいやなのか?」とか。怒りや正義感に支配されたくないから、自分の気持ちの確認タイムを持とうと思う。幸い、時間はたっぷりある。

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