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背中を押すもの

18歳の時、高校卒業後に入学した専門学校を中途退学した。入学してから夏休みに入るまで4ヶ月、さぼることもなく毎日学校に行ったが、その結果、「つまらん」と思ったのだ。親に相談したら、「お前が行きたければ行けばいいし、行きたくないなら行かなくてもいい」というので、あっさりと退学。物心ついてから初めてどこにも属さない人になった。目標やら、そのためにどこで何をすべきかを真っ白な状態から自分で決めなくてはならない。これが自分の生き方を自分で決めることのスタートとなった。

さて、どうするか。こんなことを決めるのは初めてだ。そもそも、専門学校に行ったのは、好きな雑誌がいくつかあって、そんな雑誌を作りたかったからだ。専門学校に行って、勉強してからそういう仕事をするという計画だったのに。でも、あの程度のことなら仕事しながら覚えられるのではないか。そうだ、もう、働き始めよう。

ずいぶんと強気なのだが、働いた経験もない18歳というのは、無知で先入観も恐れもなかったのである。好きなサブカル雑誌を発行している会社に電話をした。「いつも読んでます!そちらで働きたいんですが。」面白がってもらったのか、人手が足りなかったのか、とりあえずは面接に行くことになり、編集長と話したら「じゃ、バイトにおいで」ということになった。時給は安いがそんなことは気にならなかった。

そこの会社でのバイトが始まった。張り切った私は、通勤しようと思えばできた距離だったにも関わらず、アパートを借りて会社の近くに引っ越した。会社と言っても京都の銀閣寺近くにある一軒家で、入稿前以外はそんなに忙しくもないその事務所は、のんびりしていた。いろんな人が用事もないのにやって来ては、お茶を飲んでしゃべっている。まるで部室のようなところだった。そこで働く先輩スタッフたちも、出入りしている人たちも、音楽、映画、演劇、舞踏、小説、ライティング、漫画など、自分のやりたいこと、好きなことがあって、そのために生きているような人たちばかり。私はそのおかしな大人たちの話を事務所で、また仕事が終わった後に連れられて行った店で、飲んだり食べたりしながら聞いた。ネットもない時代のことである。「どこでそんな情報を知るんやろう」と驚き、あこがれた。そしてそんな毎日は18歳の私に、世界には自分の知らない素敵なこと、おもしろいことがたくさん、たくさんあることを確信させた。

その頃の日本はバブルに向かう好景気で、大学生でも自分専用の車やラグジュアリーブランドのバッグを持っていたりしたし、時給の良いバイトがたくさんあった。京都のその事務所で働く前は、そんな世の中の様子を見て、「人が生きていくってことは、お金を稼いで、お金を使って、またお金を稼いで、お金を使って…を繰り返すこと」のように感じていた。そして、そうだとしたら、生きていくってつまらないなと思っていた。その京都の事務所での経験はそんな思いを覆し、私にとっての大きなターニングポイントになった。

それからの私は、知らない世界への期待感に背中を押されて生きてきた。その会社を辞めたあと、気になって仕方なかったインドに一人で旅に出たし、勉強してみたいことが見つかって20歳で大学に入学した。大学在学中に2回出産して子育てしながら市場調査の仕事を始めたし、次男が高校を卒業したタイミングでバンコクに引っ越した。そして2020年、コロナ禍になっても、海外に出られなくなっても、癌が見つかっても、「これ、おもしろいかも」と期待する気持ちが、私の背中を押し続けている。


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