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共振が、次元を超えるカギになる

Chihiro Sato-SchuhさんFacebookより

【共振が、次元を超えるカギになる】

音楽は、何よりも共振することで、大きな力を作り出すのだと思う。このところ、何故だかクラシック音楽について書き続けることになっているのだけれど、それでいろんな情報も集まってくるし、いろんな音楽を聴き比べたり、いろんなことを考えたりしている。そうしたことから思うことは、つまるところ、やはり音楽は共振の力こそが重要なんじゃないかということだ。

楽器を調律するときには、音を出して、それと共振するかどうかを確かめる。それで、共振するまで音を合わせていくのだ。音がピタリと合ったときには、共振し始めて、まるで何かが解放されたように、急に大きなエネルギーが出る。共振の力とは、そうしたものだ。

共振が起こると、エネルギーが伝わり、広がっていく。そういうときには、理解するとかしないとかとは関係なく、感動が伝わっていく。音楽のエネルギーが聞く人のエネルギーと共振して、解放が起こり、共感が起こる。そうして、言葉にならないような何か深いものが伝わっていく。

ところが、この100年ほど、こうした共振が起こらないように、意図的に妨げられてきたようなのだ。それは、自己治癒力を妨げるように医学が操作されていったのと、おそらく同じことなのだろう。20世紀の初め頃から、グローバル金融エリートのある財団によって、石油から作る製薬を使った医学が作り出され、それを使う医師たちを育てる医学校が作られ、学界が作られた。医学の歴史もまた、製薬を使った医学を推奨するために、書き換えられた。それまで何百年何千年の歴史がある医学は、遅れたものであり、劣ったもの、危険なものだということにされたのだ。それは、根拠のあるものなどではなく、要するに自分の商品を売るために競争相手を叩きつぶしたというようなものだった。しかし、彼らは学界やメディアや政治にも手を回して、彼らの主張を通してしまったのだ。

おそらくは、同様なことが音楽の世界でも行われたのだろう。20世紀に入ってから、世界中の音大では、無調の曲、不協和音の音楽が現代的なものだとされ、従来のハーモニーのある曲などは、古くさい遅れたものだから、作曲するべきではないということになった。実際、多くの音大の作曲科では、いわゆる前衛音楽みたいなものしか作曲させてもらえない。そうした曲は、聴いていて自然に共振が起こり感動が起こるようなものではなく、身体の中に緊張を作り出す。そして、そうした緊張こそが、現代の音楽体験だということになったのだ。

19世紀以前のハーモニーのある音楽の演奏についても、伝統的な演奏法ではなく、独創的な表現をしなければならないというようなことが言われるようになった。そして、伝統的な奏法を崩して、共振が起こらないようにしたようなものが、もてはやされるようになった。そういう演奏家たちが、音楽界のスターだとか巨匠だとか言われ、皆が競って真似をするように仕向けられたのではないかと思う。自然に共振が起こらない、気難しいような演奏が、一流の演奏だとされて、そういう演奏がいいと思わない人は、音楽がわかっていないとか、あるいは自分だけが正しいと思っている傲慢な人間だみたいに言われることになったりもした。

こうしたことも、この3年ほど、真実を言う医学者や現代史学者たちが、同じような目に遭ったのを見てきたからこそ、見えてきたことだった。一流の学者たち、誠実な学者たちが、非常識だとか、頭がおかしいとか、危険人物だとか、そういうことを、学者でもないファクトチェッカーたちやジャーナリストたちに、一方的に言われてきたのを、私たちはさんざん見せられてきたのだ。背後でお金を動かしているグローバル金融エリートたちが人々に信じさせようとしていることを妨げようとすると、そういう目に遭わされるのだということをだ。

ミヒャエル・エンデの「モモ」は、1973年に出版された物語だけれど、そこにはイタリアの語り部ジジが、灰色の男たちによってスターにされていく話が出てくる。もともとジジは、出まかせの物語を語るのが得意で、それで観光客からお金をもらって暮らしていた貧しい男だった。しかし、彼はモモと同じく宇宙的な意識の次元に生きている人間で、彼がいることで、モモは支えを得ていたのだ。灰色の男たちは、人々をそういう宇宙的な意識の次元から切り離そうとしていたので、ジジをやっかいばらいしようとする。そのやっかいばらいというのが、ジジをスターにしてしまうことだったのだ。

灰色の男たちは、ジジが現代の語り部だとかいうことで、メディアに取り上げさせ、注目されるようにした。テレビや劇場のスカウトが来て、ジジは大勢の前で演じるようになった。観客が動員され、熱狂的に拍手して、評論家たちが絶賛した。ジジは大金持ちになり、マネージャーが何人もついて、絶えず仕事に追われるようになった。しかし、灰色の男たちは、メディアを操ることで、ジジをいつでもスターの座から落とせるのだ。彼らに逆らえば、とたんにチケットが売れなくなり、評論家たちは酷評を書き始め、テレビには契約を断られる。それでジジは、灰色の男たちの言う通りに動くようにされてしまった。

モモの物語では、この灰色の男たちは、人々に時間を節約させてだまし取る組織的な詐欺師たちなのだけれど、現代の金融エリートたちは、まさに同じやり方で人々を支配し、搾取している。彼らはお金の力で人々を操り、ジャーナリストや評論家やテレビや劇場の責任者たちを操って、誰をスターに仕立て上げるのも、誰をスターの座から落とすのも、自由自在なのだ。そうやってこの100年くらい、音楽も美術も操られてきたようなところがある。エンデは、1973年にこの本が出たとき、そうした裏の世界のことを、すでに知っていたのだろう。

実際、伝統的な奏法で共振を起こすような演奏家は、メディアであまり注目されないし、世界的な大ホールに招待されたりもしない。その一方で、共振を壊すような演奏をする演奏家たちが、大スターとして持ち上げられ、そういう演奏が一流のものなのだということにされ、音大の学生たちも若い演奏家たちも、そういう演奏を目指して努力しているのだ。音大の先生たちも、そういう演奏をよいものとして、学生たちにそのような演奏をするように指導している。それで多くの人は、共振を壊すような演奏が、独創性があり、表現性がある、いい演奏なのだと思っているのだ。

それは、現代医学に頼っているのが健康を保つのに重要なことだと信じている人とも、似ているような気がする。実際には、現代医学で免疫力が落ち、体調がおかしくなっているのに、それが現代医学のせいだとは思わない人が多い。それと同じように、一流といわれる演奏家の演奏を聴いていて、心も身体も喜んでいなかったりするのに、そういうものこそがいいものなのだと思っている人が意外と多いのだ。現代医学を信じている人たちが、自分の身体や体感よりも、医者を信じているのと同じで、自分の感性よりも、評論家たちのいうことを信じているのかもしれない。あるいは、そういう評論家たちの勧めるものばかり聴いているので、それ以外のものを知らないだけなのかもしれない。それもまた、現代医学が絶対と思っている人たちが、他のメソッドの方がよほど快適に癒えるのを知らないのとも似ているようだ。

今に始まったことではないけれど、3年前に奇妙なパンデミックが始まってから、メディアも政府も学界も、実はすべてグローバル金融エリートたちに裏で操られていることに、私たちはようやく気づかされた。そして、それまで私たちが、自分の感覚よりもテレビに出てくる権威を信じさせられてきたことに気づかされたのだ。それで私たちは、この3年間、必死で自分の感覚を鍛えることを学んできた。テレビや政府のいうことを鵜呑みにするのではなく、自分で調べ、自分で考え、何よりも自分の自然な感覚を信じることをだ。

実は私たちは、自分の健康の状態をかなり確実に自分で感じ取ることができるし、何が自分の健康にとっていいもので、何が悪いものなのかも、かなり精確に感じ取っていたりする。それもまた、共振のようなものなのだ。自分の身体に共振するものなのか、不協和音を作り出すものなのか、それは身体に意識を向けてみれば、だいたいかなり確実にわかる。それと同じように、どういう音楽、どういう美術が自分と共振し、自分のエネルギーを活性化させてくれるのか、あるいは共振を妨げてしまうのかは、自分の感覚を信じることを学べば、誰でもかなり確実に感じ取ることができると思う。

これまで、多くの人々が自分の感覚よりも、権威の言うことを信じてきたので、私たちは金融エリートたちにまんまと騙されてしまったようなわけなのだけれど、どんな災難も、そこから学んで、もう騙されないような力をつけることができたら、恩恵にもなるわけだ。今世界は、あまりにも嘘だらけで、三次元の次元からだけ見ていたら、どうにもならないように見えるのだけれど、共振が大事なのだというところに意識を向けることで、この袋小路を突破していくことができるのじゃないかと思う。それが、次元を超えて世界を解放していくカギになるんじゃないかと、私は思っている。


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