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思考力を取り戻すときがきた

Chihiro Sato-SchuhさんFacebookより

【思考力を取り戻すときがきた】

この3年ほどで、情報操作が何より大きな支配の手段だったことがよくわかった。存在していない危険が迫っているように見せかけたり、危険なものがいいものであるように思わせたりするのには、メディアを買収して操作すればよかったのだ。そして、それでもSNSを通して漏れてくる情報は、アルゴリズムを使って徹底的に排除していた。ファクトチェッカーという奇妙な組織が現れて、何が正しくて何が間違いなのかを、一方的に判定したりもしていた。これは、専門知識を持ったチームではなくて、人々に知られたくない事実を、もっともらしい理屈をつけて否定するために、お金をもらっている組織だった。このファクトチェッカーに資金を出している財団は、メディアを買収している財団と同じだ。そうやって、いくつもの「独立団体」が同じことを言っているかのように見せかけていたわけなのだ。

しかし、そういった操作された情報は、明らかに現実と違っていたり、筋が通っていなかったりする。言われていることと、現実に起こることとを比べれば、言われていることが正しくないことは、けっこう容易にわかったりする。ところが、多くの人はこのことに気がつかないのだ。それはまるで、思考力が何かの操作でブロックされているように見える。

目の前に見て、すぐにはっきりとわかるようなことでも、およそ3/4の人間は、まわりの人が皆同じことを言っていたら、人の言うことの方を信じてしまうのだそうだ。自分が見ているものの方が間違っていると思い込んでしまう。情報を操作している人たちは、まさにこの状況を作り出すために、複数のメディア、複数の研究機関、複数の審査機関に、同じことを言わせている。

しかしそのとき、自分に見えている事実の方を自分で否定してしまうわけだから、自分で自分の思考力をブロックしてしまうことになる。皆が言っていることの方が真実だとしておけば、変人だとか、頭が悪いと思われたりしなくてすむ。それで、生き延びるための手段として、自分の認識の方を修正するという心理メカニズムが働くことになる。

3/4の人が皆が言うことの方を信じてしまうというこの数字が、世界中どこでもそうなのかどうかはわからない。こういう心理防衛機能が作動するには、それまでにそれなりの下地があるはずだと思うからだ。答えがたった一つしかないかのように、何が「正しい」のかを覚えさせられる学校教育を受けてきた現代人は、すでにこの下地ができていることになる。「これが正しい」と言われていることを答えなかったら、合格点をもらえず、劣等生扱いされるというトラウマを経験しているからだ。

ある意味とても奇妙なことなのだけれど、自分が言っていること、信じていることを、現実に照らし合わせている人は、実はかなり少なかったりする。現実に照らし合わせることを自分でしていない人は、誰かが言ったことを信じているわけなのだけれど、それを信じるに当たって、自分には知識がないからとか、独自の判断をするだけの思考力がないからとか思っている。

ウクライナの戦争が始まった頃、西側のメディアがいっせいに虚偽の報道を始めていて、それについて現地からの情報を書いていたら、繋がってもいなかった人たちが何人もスレッドにやってきて、それは違うと書き込んできた。皆同じような論理を使っていたから、コメント一件いくらで雇われている情報工作員なのは一目瞭然だった。この人たちは、大昔の歴史の話を延々と書いて、こういうことを知らないのでは、この戦争について語る資格はないみたいな言い方をしてきていた。たとえ歴史的にいって、どこの土地がどこの民族のものであると言えるにしても、だからといって、そこに住んでいる人たちを攻撃してもいいということにはならない。だけど、延々と自分がくわしくない領域の話をされると、自分にはわからないけれど、その通りなのだろうと、多くの人は思ってしまうのだと思う。その効果を利用して、情報工作員たちに、直接には関係のない複雑な話を延々と書き込ませるのだ。

そういうやり方から見ても、何とかして人を思考停止状態に追い込んで、誰かが言ったことを鵜呑みに信じるようにさせたいのだ。これは情報工作員にかぎったことではなく、学校教育がすでにそうだ。資格を取るための講習でもそうだし、学術界でもそうだし、スピリチュアルな領域でもそうだ。

論理や現実とは関係なく、言われた通りに信じることを、「宗教みたいだ」とかよく言うのだけれど、宗教だって、そもそもはそんな風に、言われたままに信じればいいといったものではなかった。それは、宗教が大衆操作に使われるようになったからのことにすぎない。宗教とは、もともとは意識の領域を扱う教えなわけなので、信じる信じないの問題ではなく、善悪の問題でもない。それは、意識を変えることで現実を変えるメソッドだと言ってもいい。だから、実のところは何が正しいか正しくないかとかいう問題でさえなく、効果があるのかないのかということに尽きると私は思う。効果が出ないのなら、やり方が間違っているのか、教えが間違っているのかのどちらかだ。そこを見極めるのに、私たちは思考力というものを持っている。だから、本当は誰でも確かめられるようなことなのだけれど、それが権威を信じるようなことにすり替えられている。

知識というものは本来、効果と照らし合わせて評価するべきものだと思う。その知識を使ってうまく行ったのなら、それは使える知識だ。それによって健康になれたとか、壊れたものを直せたとか、人との関係がよくなったとか、紛争を回避できたとか、そういう効果があってこそ、知識というものは有効だ。だけど多くの人は、こうした見地からいって何の役にも立たない知識を、知り尽くしていないといけないみたいに思い込まされているのだ。それで、そういうあれこれのことを知らないから、自分には判断する能力がないとか、その資格がないとか思ってしまう。しかし、私たちがそう思い込むことこそを、情報操作する人々は狙っている。そうなれば、どんなあからさまな嘘だろうと、信じさせてしまうことができるからだ。

多くの場合、私たちは知識や思考力に関しては、ものすごい遠回りをさせられていると思っていいと思う。学校でも大学でも、ものすごい量の必要のない知識を覚えさせられている。私たちはそれが勉強であり、それができるのが頭のいい人だと思い込まされている。しかし、その「頭のいい人」とはほとんどが思考停止状態になっていて、知っている知識と現実とを照らし合わせることができない。

思考力とは、本当は誰もが持っている力なのだ。それは難しい論理とか知識を持っていることではなく、現実と照らし合わせて判断するというような、ごく日常的なリアルな手触りを持っているものだ。意味のない無味乾燥な知識によって、私たちの思考力はすっかり鈍磨してしまったのだけれど、この能力はいつでも取り戻すことができると私は思う。そして、その力を取り戻すことが、古い世界を終わりにして、新しい世界を作ることになるのだ。その時がいよいよ来たのじゃないかと、私は思っている。

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画像は、ゴールデン・ドラゴンのイメージ Mariko Watanabeさん