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【無神論から有神論へ】 Chihiro Sato-Schuhさん

Chihiro Sato-Schuhさんfacebookより

【無神論から有神論へ】

無神論者は政治をやるべきではないと、プーチンとトランプが言っているという話を、先日、藤原直哉さんがしていたのが、興味深かった。プーチンはロシア正教で国を立て直そうとしていたし、トランプはプロテスタントで、神に祈るということをスピーチでもよく言っている。宗教と政治は分けるべきだとこれまで言われてきて、政治家が宗教と関わっていると言うと、政治が宗教権威に絡め取られるのではないかと、私たちは反射的に思ってしまう。だけど、プーチンやトランプが宗教でやろうとしていることは、それとはまったく別のことだ。

政治が宗教に関わったときに危険になるのは、政治家が宗教権威を利用して、独裁を行おうとするときだ。つまり、宗教の教えが命じているのだから、問答無用で従うべきだというようなことをだ。こうしたことは、これまで2000年の支配の歴史の中で、繰り返し行われてきた。そしてその結果、殺し合いや残虐行為といった、およそ宗教の教えとは真逆のことを、善良な人々がやるようなことになっていたのだ。これは実のところ、人間が神になり代わっているだけで、本当の有神論などではない。いやむしろ、これこそは無神論的なことだと言うことさえできる。

何故、無神論者が政治に関わるべきでないのかと言ったら、無神論者は要するに、人間的な欲や利益で判断するからなのだ。物欲とか支配欲とかそういうもので、何がいいか悪いかを判断して、決めている。その次元でしか考えていないから、政党はそれぞれの支持者の利益になることしか考えないし、政治はつまりは利益の取り合いでしかないようなことになる。だから、いくら話し合っても、永久に争い続けることになるわけだ。それで結局、多数決で決めるということにしかならず、多数派が得をするように決まって、負けた方は損をするということになる。戦争になって人が死のうが、国中に貧困や虐待が蔓延しようが、多数派が儲かればいいということにもなる。そこには公正さも何もありはしない。実際そうしたことが、民主主義的に決まったことなのだから受け入れるべきだ、とされてきたのが、政教分離の民主国家でのことだった。

プーチンやトランプが無神論者を政治から排除すべきだということを言っているのは、まさにこの点にある。人間の次元、三次元的な計算でしか考えていないような人間を、政治家にするべきではないということだ。有神論者は、そういう三次元的、物理的なものだけで世界ができているのではなく、より高い次元の力が働いていることを知っている。私たち人間も物欲で生きているのではなく、高い次元の目的に導かれているのだということを知っている。そういう人物であれば、三次元的な損得だけで動くことはないのだから、裏切ったり、嘘を言ったり、人を犠牲にしたりはまずないと思ってよく、だから信用することができる。そして、公正にことを行い、調和ができるように考えているはずだから、肚を割って、建設的な話し合いをすることもできる。つまり、公正さとか徳とかいったものを、何よりも重要なものとして捉えているかどうかということだ。

プーチンは、ヒンズー教徒のモディ首相も共産党の習近平もイスラム教のイランも信頼している。だから、有神論者といっても、それが一神教であろうが多神教であろうが、あるいは仏教とか儒教みたいな、神の概念のない宗教であろうが、かまわないのだと思う。要するに、三次元的な価値基準ではない、高次元の価値に従って生きているかどうかということが重要なんだと思う。とにかく、そういう人物であれば、駆け引きで騙したり、都合が悪くなったら約束を引っくり返したりといったことはしないだろうと信頼することができる。だから、たとえ利害や考え方が違っていても、話し合って調和を作り出していくことができる。実際、そうでなかったら、手の内を明かして話し合うことなんてできないわけで、そうでない相手、つまり無神論者とは、ビジネスライクに取引することができるだけだ。そしてその場合には、相手が裏切る可能性も考えて、その場合の防衛手段も用意しておく必要がある。

宗教を使った支配というのは、これまでもあったけれど、それは、支配者が宗教を国民に押しつけるという形で行われてきた。王政の時代には、王は神から支配権を授かるとされていて、その支配権によって、王は人を裁いたり命令したりといったようなこと、つまり神のように振る舞うことを許されることになる。これは要するに、宗教的な独裁制なのだけれど、王自身が本当に高次の価値に従って生きているのかそうでないかで、まったく違う状況を作り出すことになる。

王政の時代には、善政を行なう徳の高い王の物語だとか、心の歪んだ悪い王の話だとかが、いたるところにたくさんあった。中世の伝説やメルヒェンは、徳の高い王が悪い役人をこらしめたり、悪い王を滅ぼすような話でいっぱいだ。その時代には、民衆には政治に口を出す権利はなかったけれど、王には民衆が幸せになるように統治する責任があった。その責任を担うからこそ、王権を与えられているという考えがあったのだ。だからある意味、近代の民主制よりもずっと「民が主」であることもあった。いや、そういう王こそが、いい王であると考えられていたのだ。そういう王の伝説は、「徳の高い王」の話として世界中あちこちに残っている。

ヨーロッパのメルヒェンには、民衆から出てきた英雄が、悪政を行なう王を倒して、新しい王になるという話がたくさんある。王が王権を利用して、私腹を肥やしていると、民衆は貧しくなる。それで、食べていけなくなって、子供を森に捨てることになったり、奉公先を探す旅に出したりすることになる。そうやって両親の元を離れた子供が、人々を苦しめている悪者と戦う冒険を経験し、最後には王になって、国を建て直すという物語だ。こうしたことが実際にあった時代には、王が王権を乱用して国が乱れた場合でも、免疫システムが働くのと同じように、調和を取り戻す機能が働いていたということになる。

ところで、無神論的な金融資本家たちが、お金で王を操作し始めるようになってから、こういう機能が働かないようにされていったのだ。金融資本家たちは、王から政治権力を奪うために、革命を組織した。それは王が悪政を行なっていたからだという理由でだったのだけれど、その結果、残虐行為は減るどころか、いよいよ国中に広がっていったのだ。悪政を行なっていたとされた王たち、フランス国王ルイ16世やロシア皇帝のニコライ2世は、実のところは信心深い、民のために働く王であったとも言われている。無神論的な金融資本家たちは、策略を使って戦争を起こし、軍資金を王に貸し付けることで、富をなしていったのだのだけれど、その彼らが、良心に従って国を治めようとする王たちから、ついに支配権を奪って、お金で動くような世界にしてしまおうとしたのが、いわゆるブルジョワ革命というものだった。

金融資本家たちは、この200年ほどで、世界中を有神論から無神論へと変えていったのだ。人々も政治家も、高次の価値に従って生きるのではなく、お金の計算で動くようにしていった。イランは、国王が腐敗して、アメリカのお金で動くようになっていた間はよかったけれど、イスラムの教えに従って、腐敗をなくしていく政府になったら、金融資本家たちから独裁国家だと非難されるようになった。こうしたことは、世界中で起こっている。政治が有神論的な価値で動くようになると、無神論的な金融資本家が政府を思うままに腐敗させることができなくなり、巨額の税金を吸い上げるということができなくなってしまうのだ。だから、そういう国は、独裁国家だとか言われることになる。国民が宗教崇拝を強要されているとか、少数民族が弾圧されているとか、いろんなことが言われているけれど、そういう国では、実際には、政府が富を国民に還元しているので、国民の大部分は政府に満足していたりする。

西側の機関が行なった国際世論調査で、中国人の8割が、中国を民主的な国だと思うと回答した結果が出て、世界中の多くの人々を驚かせていた。中国は共産党独裁の政府で、民主的な国ではないと、世界中のほとんどの人が思っていたからだ。当然、中国人は政府に不満を持っているだろうと多くの人は思っていたけれど、そうではなかった。たとえ共産党独裁であっても、政府は人々が幸せになるように政治を行なっているという実感があったのだ。中国はもう共産主義経済を行なっているわけではないし、労働している人々に富を還元することが、共産主義の理想であるのならば、それはある意味、当然の結果だと言えるのかもしれない。

同じ調査で、ロシアはわずか20%の人が、自分の国が民主的だと思う、と答えたのだそうだ。しかしこれは、ロシアがソ連崩壊後の10年間、腐敗でひどい貧困と治安の悪さを経験していたから、多くの人は、民主的な国などというものがいいものだと思っていなかったからだった。腐敗の自由と不正とが許されるのが民主的な国なのだったら、そんなものは要らない。だから、多くの人は「民主的だと思う」とは回答しなかったけれど、だからといって、「民主的ではないと思う」と回答したわけでもなかった。大多数の人は、「その他」に回答していたということだった。ロシアは腐敗が許される「民主的な」国ではないけれど、しかし「民が主」な国ではある。そう考えた人たちが、大半を占めたということらしい。

この200年くらい、有神論的な考え、高次の意識が存在していて、それに私たちが従うべきだという考えは、「民主的ではない」として、排除されていったのだけれど、その結果、この世界はありとある腐敗と不正とを許すことになり、お金によって支配されることになったのだ。まさにそれこそは、金融資本家たちが、有神論的な考えを排除していった目的だった。

政治ばかりではなく、芸術や文化でも、有神論的な高次元の価値は排除されていき、三次元的な人間の世界がテーマにされるようになっていった。そうしたものは、つまるところ、どういう品物を持っているのがかっこいいとか、経済的な成功を目指すのが人生の意味だとか、そういう価値観を宣伝するようなものだったと言える。それが、無神論的な三次元的な価値で動く人間を作り出すことになっていった。

どんな宗教でも、人智を超えた大きな力に私たち人間が支えられおり、それによって導かれているということを教えている。そして、それに従って生きていけば、調和を作り出していくことができるということをだ。その次元で政治家たちが政治を行なうならば、議会で延々と不毛な議論をするために税金を使う必要もなくなるし、国と国とが信頼関係を結ぶことができるから、戦争などしなくても、国の主権と安全とが守られることになる。そして何より、人々にちゃんと富が還元されていくならば、争いを起こすことで私腹を肥やしている無神論者たちが増えていくこともなくなるのだ。

地球は3次元から5次元に移行するというようなことが、前から言われているけれど、それにはただ、無視論者たちを政治から排除すればいいだけのことだったのだ。有神論者たちが作り出す調和のネットワークは、すでに大きく育ってきており、それが今や世界を根底から変えようとしているようだ。

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画像は、ロシアのプーチン大統領(ロシア正教)、イランのライシ大統領(イスラム教シーア派)、トルコのエルドアン大統領(イスラム教) 




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