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ためについて自己紹介①〜小学生まで

これまで様々な方にお会いしてきましたが、今までの経緯を全て紹介は出来てこなかったので、改めて自己紹介をしていきたいと思います。


<ざっくりした自己紹介>
幼少期:落ち着きがない子供だった
小学生:小学生5年生で初めてマンガを描く
中高時代:勉強大好きマン
大学時代:卓球バカに
社会人生活:営業・放射線技師・人事・エンジニア…など転々とする

幼少期の生い立ち

私、為本晃弘(ためもとあきひろ)と申します。ため画伯という名前は、屋号として登録しております。沖縄顔とか、どこかのハーフ?とかよく聞かれますが、父は徳島県生まれ、母は長野県生まれのため、100%日本人です。

2人とも医療職で、同じ職場で出会い付き合い始めたそうです。生まれた頃は東京都の不忍池の近くに住んでいました。

落ち着きがない子供で、保健所の方に「知遅れかも知れない」と指摘され、発達遅れのクラスに通う可能性もあったみたいです。(大人になってから、現在優勢型というADHDの診断を受けました。ちょうどグラデーション領域に自分はいたのだと思います)

父は、研究者としても活動していたので、家にたくさん難しい本がありましたが、医療に関する本だけで無く美術に関する本・文学の本も同じくらい家に置いてありました。

なにかを描くことがずっと好きだった

子供の頃から何かを描くことが好きでした。ジャポニカの白紙のノートに自分だけの絵を描いたり、お話を色々作ったりするのが好きでした。

弟に訳のわからない話を夜寝る前に話して馬鹿騒ぎしていた気がします。

空想することが元々好きだったのか、家の帰り道に、給食袋やランドセルにキャラ付けして、誰もいないのに1人何役かで会話をしてみたり、道端の虫を延々といじって遊んだりしていました。

あまりにも帰ってこないので、親が心配するくらいでした。

また、非常に凝り性で、小学生用の漢字辞書を全部読んでしまって、小1の頃には一通りかけるようになっていました。車の本にハマっていた時は、車種も全部暗記して、道ゆく車の車種をそらで言えたと言います。今はできません。

公文式にも通っていましたが、スモールステップという公文のモットーをガン無視して、小1の頃に小5くらいの問題を解いて、おばさん先生を困らせていた覚えがあります。

一方で、うわばきや消しゴムなど、身の回りの持ち物はすぐに無くしてしまうので、「まとまるくん」が「MONO」の消しゴムになり、しまいには、「MONO」の消しゴムをカッターで半分に切って渡される始末でした。

また、引き続き落ち着きがない変な小学生として、いじめられるケースも多かったです。

それでも、何かしら描くこと、作ることには関心がありました。

だいぶ変わり者だったため、小学生高学年になるにつれて「私は変わり者なのだ」ということをだんだんと痛感するようになっていきます。

何と無くこのままでは自分はだめなんじゃないか、という気持ちが芽生え始めた中で、小学校高学年からクラブ活動が始まり、その中で「マンガ倶楽部」に入りました。

その時に描いた漫画のタイトルが「なすじいさん」です。

3人の貧乏、普通、超リッチな、なす達が宝物に出くわし、貧乏なすがリッチになり、超リッチなすが貧乏になる、という物語で、最終的に一番嫌なやつが「普通なす」という、今の世情にも通じるようなマンガを描いていました。(なんで、なすだったんだろう)

それから、凝り性で勉強も苦ではなかったことから、中学受験をすることになり、数字で成績を評価される世界に揉まれながら、何とか合格し、近くの中学に進学することになります。

②に続く


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