書くこと

変な話だが、私にとって「書く」は「泣く」という行為の感覚に近い。言葉が溢れるか、涙が零れるか、そこに大差はないように感じる。 だから、溢れた言葉の連なりを他人に読まれるのは、頬を伝った涙の痕跡を見られるようで、どことなく気恥ずかしい。

ここ最近は何かを文章で表現したいという欲求があるのだが、それで上手くいっていない。他人に読まれることを前提として文章を書くのが苦手なようで、そうして書いた文章は、無理やりお化粧直しをされたみたいにのっぺりとしてぎこちなく、歴史を感じさせない。人間の言葉を紡ぐには、深淵をそっと覗き込み、ひとりその闇に耐え、魂の涙が流れる瞬間を待つしかないのだろう。清水眞砂子先生の言葉を借りるなら「自分のなかの魑魅魍魎と徹底して向き合うこと」が必要なのだ。

例えば、深夜に浴槽という名の思考の海に沈んでいると、自然に溢れてくる涙がある。それは涙であり「言葉」に開かれたものだ。そのか細い声に気付き、零れてしまう前にすくわなければ、それはただ浪費されてしまう。私に言葉がすくえるだろうか?

欲しい本リスト(https://www.amazon.jp/hz/wishlist/ls/29SCET9374R0A?ref_=wl_share) 本を贈っていただきましたら、後日お礼にその本に関する文章を書いて公開したいと考えています。