生きている証としてのnote
友人に薦められて最初のnoteを書いたのがちょうど1年前の3月4日だった。
一緒に映画をみたあとだったので、グレイティスト・ショーマンについて書いた。それ以来、noteを書くことは私の楽しみになった。
そんなわけで今日は“私にとってのnote”について書いておきたい。
私は死を意識することが多い。
だから、自分の考えていることを記録しておきたい、大事な人への感謝の気持ちを残しておきたいと強く思っている。
つまり、私にとってnoteは生きている証を刻むキャンバスのようなもの。
そして、noteに書く言葉は、
日記であり、
メッセージであり、
遺言であり、
思考だ。
私のnoteはブログとはちがう。
誰かに向けて書いているわけではなくて、ただ自分の考えていることを言葉にしているにすぎない。
匿名でやっているのは、誰かの目を意識したくないから。
自分の名前で発信する情報は、どうしても、「他者からみた自分」を意識してしまう。他者からみた「わたし像」から大きく外れない言葉遣いをし、人に伝えたいことを抜粋する。
そうではなく、固定的な自分像を脱して、そのときどきの自分で、自分の書きたいことを好きなように書いていたい。
私のお気に入りのマムアンちゃんの作品には、こう書いてある。
私はこの作品が大好き。
私も言葉にすることで、幸せを噛みしめているのかもしれない。
さらにnoteのいいところは、私の言葉が、まったく知らない誰かに届くこと。自分のために書いている言葉だけど、それをいいねと思ってくれる人がひとりでもいるとしたら、それはとっても嬉しいことだ。
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