見出し画像

君の膵臓をたべたい:私たちは自分たちの意志で出会ったんだよ

昨日の真夜中に、どうしてもみたくて布団の中でみた「君の膵臓をたべたい」。号泣してそのまま寝たので、今日は眠気と涙で目が腫れていただろう……。

終わったとき、頭に浮かんだのは、私が大学生のときにバス事故で亡くなった高校の同級生のことだった。

ある日、母が「●●高校って書いてあるけど知ってる?」と新聞を見せてくれた。そこにはバス事故で亡くなった大学生たちの顔写真があった。その中の1人が私の同級生だった。私はその子と同じクラスになったことはなかったけれど、お洒落でかわいい子だったから、一方的によく知っていた。密かにあの子みたいになりたいと思っていた。だからこそ、なんとも言えない気持ちになった。こういう現実があるのか……と。

その子は高校時代から同級生の優しそうな男の子とずっと付き合っていて、卒業式のあとの会では“仲良しカップル賞”みたいなのをもらっていた。高校卒業後も、その子が亡くなった当時も、その子の彼氏さんのSNSアカウントの画像はその子との2ショットだったから、たぶん、ずっと付き合っていたのだと思う。

どんな気持ちだっただろうか。

愛する人が自分のことを愛してくれないことも辛いけど、自分のことを愛してくれている、愛する人が突然消えてしまうことはもっと辛いはずだ。少なくとも私はそう思う。

心の痛みをおもうと、言葉にならない。

でも、そうやって、突如大事な人を失ってしまう人が、この世には数え切れないほどいる。

苦しい。でも、そうやって本当は悲しみのどん底にあるような人も、普通に仕事をしていたり、学校に通ったりしていることがある。中学生のときに母親を亡くした同級生も学校に来ていて、私は本当にすごいことだなと思ったのを覚えている。私にはできない、と今でもそう思う。学校や職場に行けたとしても、きっと泣いてばかりいるだろう。それでも、学校や職場に行かなければならないって、大変な社会だ。

少し話がズレたけれども、映画をみて強く思ったことがもう一つある。それは、やっぱり誰かのいのちを奪う行為は許せないということ。

許せないというよりは、そういう人を生み出さないことが私にとっては重要なことだと改めて思った。そのためにできることは、人に心優しく接することだ。子育て支援をすること、社会に適合するのが難しい人の社会参画の支援をすること、身近な人を大事にすること、店員さんなどに丁寧に接すること、そういうこと。まだまだ未熟なので直接的にできることは少なくとも、少しずつ手の届くところから貢献していきたい。これは綺麗ごとなんかではない。もっとシビアな話だ。自分も死にたくないし、大事な人を殺されたくない。

ありきたりな感想だけど、人生は有限であること、いつ別れがくるか分からないことを強く認識させられるストーリーだった。生きて、人と心を通わせられることに感謝しました。


花を買って生活に彩りを…