見出し画像

ZATSUDAN ROOM1(タメカワの経歴1)

いらっしゃいまほ、ようこそタメカワハウスへ。
家主の爲川 裕也です。

タメカワハウス建設についてたくさんの方に良い反応を頂き、
お祝い頂き、とっっっっっっても嬉しいです。
ありがとうございます。
改めてこれから良い発信ができるよう精進しますので、
よろしくお願いします。

さて
いきなりギターを教える動画ドーン!となってもいいのですが、
走り出しは緩やかに、楽しく健康的に継続がタメカワハウスの家訓ですので(今決まった)。

わたくしタメカワの経歴をば。

ギタリストとしてありがたくも人生を送らせてもらっておりますが、
なかなか改めて経歴をまとめることはなく、
せっかくなので自己紹介がてらタメカワ的ギタリスト経歴を振り返ってみたいと思います。
ざっくりかつ、爲川という名前の割に「為になる」内容にはなっていないので、サクッと読み進めてください。

そして書いてみるとかなりの長編になりましたので、
2記事に分けて構成させて頂きます。

〜 爲川ギターボーイ創世記〜

1997年 爲川家が音楽一家のため、無理やりベンチャーズのパイプラインを弾かされるが、当然弾けないため拗ねる。

1998年 家にアコースティックギターがあったのでさわり出す。藤井フミヤの「TRUE LOVE」のイントロが弾けて感動する。

1999年 家にあったフェンダーのストラト(エレキギター)を弾いてみるが、アンプからの音の出し方がわからず拗ねる。とりあえず直接スピーカーに線(ケーブル)を繋いでなんか大っきい音が出て感動する。文化祭で先輩が大きいホールで、BOØWYのコピーバンドをしており、爲川少年はステージに憧れる。

2000年 お年玉と少しの親父マネーを掛け合わせ、エピフォンのレスポールカスタム(ギター)を買ってもらう。取り憑かれたかのように練習する。ギターを抱えそのまま仰向けになり、寝ながらも手を動かしていたらしく、ギターを抱えながら朝を迎える日が多くなる。
同級生と「漢夢労働組合」と言うふざけた名前のヴィジュアル系バンドを結成し、リードギターを担当する。
神戸三ノ宮のライブハウスART HOUSEでライブ初めてステージに立ったのはこの時期。

〜爲川バンドマンギタリスト創世記〜

2001年 漢夢労働組合はふざけた田舎のヴィジュアル系バンドだったが、若いという輝かしい才能と高校生パワーで動員を増やし、当時あったライブハウスで動員ランキングで上位にねじこむ。

2002年 漢夢労働組合を解散。大学に行ったら音楽の交流も増えると言われたが、ピンと来ていない中、大学入学できたらギブソンのギターをプレゼントしてやると言う父の甘い誘いに乗っかって、ずっとやっていなかった勉強を始めてみる。

2003年 勉強はしてこなかった割にギブソンギターパワーで勉強を頑張り、それなりの大学に入り無事ギブソンギターをゲットする。
大学で軽音部やサークルを見て回るが、大学よりも広い世界がライブハウス・音楽業界にはあるじゃないかと思い、「J’aiian//じゃいあん」と言うこれまたふざけた名前のバンドを結成する。大阪神戸で活動するがすぐ解散する。

〜ライブハウスどっぷりバンドマン創世記〜

2004年 「LINE法度」と言う、これまたどういうつもりか分かりづらい名前のバンドを結成する。神戸三ノ宮のART HOUSEに頻繁に出演するようになる。

2004〜2005年 「OUTASIGHT」や「アルカラ」というバンドに出会ったり、自分の今の音楽人生でも関わっているバンドと出会う。

2006年 LINE法度を解散し、よくライブ共演していた「AndersKlang」というバンドに誘われギターで加入する。ここでVo.Gtを担当していたのはfolcaの山下氏である。

2007年 AndersKlangが解散となる。その後もほぼAndersKlangのメンバーで「Ogue」というバンドを結成する。

2008年 Ogueの初ライブにしてラストライブをやり遂げて解散。同時期に解散していた「MONSTAR☆MAN」というバンドのメンバーとやったらええやんとアルカラ稲村氏にお声がけ頂き、「まずは音楽より人」という理由で飲みに行ったらまんまと「folca」結成。


長いですね。だてに歳を重ねてないですねぇ。
第一弾はこんな感じ。

ここからfolca結成〜上京〜ギタリストとしての自覚が芽生える時期
などのお話はまた後日。
ここまで読んで頂き、ありがとうございました。
こんな感じでたまに雑談もあげていきますね。

それではまた。


ありがたい愛のサポートは、タメカワハウス増築(コンテンツの充実化や日々の音楽投資)に向けて、感謝満点で有効活用させて頂きます。