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宇野重規『<私>時代のデモクラシー』を読んだ

ずっと読みたいと思っていた、宇野重規先生の『<私>時代のデモクラシー』を読みました。とてもよかったです。タイトルにもある<私>時代、が気になったのもあるのですが、それはつまり、<私>とそれを包む社会との関係の方にぐっと興味をひきつけられました。

興味をもった部分をたくさんメモしておいたのですが、特によかったところだけをここで公開したいと思います。

まずは、ピエール・ブルデューによる、人と世界の関係についてのところです。

人が自らの属する世界に関心をもつのは、その世界に意味と方向性があり、自らもまた過去からの経験によって、その世界のゲームに参加しているという感覚をもつことができるときです。そのようなゲームにおいて、未来を先取りし、願望とチャンスを自分なりにコントロールする力をもってはじめて、人は時間感覚をもつことができます。
しかしながら、このようなチャンスがある一定水準を下回るようになると、人は未来に対する感覚を失うとブルデューはいいます。彼は、荒廃したフランス大都市郊外の団地での聞き取りから、無力さが可能性を消滅させ、むしろ無力さゆえに、人々をまったく実現可能性のない幻想へと追い込んでいると指摘します。彼らにとって未来と現在は絆が切断されているのであり、現在の自分の生活と行動を方向づけるための客観的世界とのつながりが失われているのです。そうだとすれば、彼らには、残された、意味の抜き取られた時間を生きるしか道はありません。(p.142-143)

それから、この本を読んではじめて知った、ガッサン・ハージさんについての文章のところも本当によかったです。社会とは、人に「希望を分配する」という話もすごくいいな、と思いました。

ハージにとって、希望とは、有意義な未来をつくりだす方法であり、そうした未来は社会の内部においてのみ可能です。なぜなら、ブルデューのいうように、社会とは自己実現のための機会を分配する担い手であるからです。社会とは社会的希望を分配する担い手であり、個人が自分の生活を意味づけるのは、社会という経路を通じてのみ可能になります。ハージの見るところ、ブルデュー人類学の核心にあるのは、人々は生存の受動的な受け手ではない、という考えです。そこにあるのは、宗教思想が示すのとは異なり、有意義な人生とは、社会に先立ってすでに決定されたものではないという信念です。社会を通じてのみ、人間は自らの人生に意味をもたせることができるのであり、その意味で、「まともな」社会の核心にあるのは、何よりも、こうした自己実現の機会を分配する社会の能力なのだとハージは主張します。
グローバル化の時代において、国家主権やナショナル・アイデンティティが危機にさらされていると、しばしばいわれます。しかしながら、ハージにいわせれば、私たちの生活の質をもっとも圧迫しているのは、主権やアイデンティティの衰退ではなく、むしろ社会の衰退です。この点に関して、ハージは興味深い比喩を用いて説明します。すなわち、グローバル化時代において、国家は「美観の管理人」になっているというのです。
国境を越えて展開するグローバル企業は、かつての多国籍企業とは違い、もはや地球上のどこにも拠点をもちません。あらゆる拠点は一時的であり、企業はより好都合な土地や投資を求めて、地球上を浮遊します。そのような企業や投資を呼び寄せるため、国家はたえざる努力を求められます。自国がより魅力的な投資先であることをアピールするグローバル化時代の国家は、自国をなるべく美しく見せようとする、その意味で「美観の管理人」なのです。しかしながら、「美観の管理人」にとって大切なのは、その空間のイメージであって、そこに暮らす人人ではありません。(p.144-146)

最後に出てくる、いまの国家は、「美観の管理人」であり、国のイメージを管理しているのであり、そこに暮らす人々のことは大切ではない、と書かれているのは、本当に考えさせられる部分でした。

このようなハージの主張を極端に思われる方もいるでしょう。国民のいない国家などありえず、国家は依然として国民を必要としている、と。たしかに国家は自らの国力の基礎となるような人的資源には強いこだわりをもち続けるでしょう。しかしながら、国際的な競争に役立たないと判断した人々の希望についてまで、十分な配慮をすることへの動機を依然としてもっているかについては、疑問といわざるをえません。とくにデモクラシーの機能が低下した場合、国家は社会を放置し、衰退にまかせるというハージの警告は急激にリアリティをもってきます。(p.146-147)

ここで書かれている、「国家」のところを「学校」に置き換えて読んでみたときに、けっこう当てはまるような感じもするかな、と思いました。学校は、「美観管理人」になってはいけないな。

ガッサン・ハージ『希望の分配メカニズム ― パラノイア・ナショナリズム批判』は、社会のあり方として考えてみたいと思ったので、読んでみようと思います。


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