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クロード・スティール『ステレオタイプの科学』を読んだ

クロード・スティール『ステレオタイプの科学』を読みました。副題が「「社会の刷り込み」は成果にどう影響し、わたしたちは何ができるのか」。いま、考えなければならないと思うテーマです。

日本語序文から、「ステレオタイプ脅威」という言葉が出てきますが、これを認識することと、これを克服するためにどうすればいいのか、ということを軸に読んでいきました。

女性は理数系に弱い。男性より女性のほうが、保育士や看護師に向いている。理系の人は空気が読めない。
誰しも一度は耳にしたことがある言説ではないだろうか。こうした人をある種のカテゴリーで見る固定観念、鋳型のことを「ステレオタイプ」という。
本書の中心的なテーゼは、このステレオタイプと人間のパフォーマンスの関係を紐解いた「ステレオタイプ脅威」というものだ。周囲からステレオタイプに基づく目で見られることを恐れ、その恐れに気をとられるうちに、実際にパフォーマンスが低下し、恐れていた通りのステレオタイプをむしろ確証してしまうという現象である。(p.3)

ステレオタイプをテーマにした授業をしていることもあって、このあたりをうまく子どもたちに説明できるようにしたいな、と思いました。また、自分が持っているステレオタイプについても認識しておきたい。

本書の中核をなすのは、アイデンティティ付随条件のなかでも、こちらは目に見えない脅威、ステレオタイプ脅威と呼ばれるものだ。これは誰もが経験するものだ。ステレオタイプ脅威は、間主観性[主観は単独の自我だけではなく、他者の認識ももとに成り立つものだという考え方]という人間の認識から生まれる。わたしたちは社会の一員として、同じ社会の人たちが特定のアイデンティティについてどんな固定観念(ステレオタイプ)を持っているかかなりよく知っている。あるアイデンティティ(高齢、貧しい、金持ち、女性など)について、「あなたが持つイメージをあげてください」と質問したら、多くの人が似通ったことを答えるだろう。このため、アイデンティティについてのネガティブなステレオタイプが、自分に当てはまりそうなとき、わたしたちはそれを察知することができる。「みんながどう思うか」を知っているのだ。そして、そのステレオタイプに当てはまることをすれば、「やっぱりね」と思われ、その認識に基づき自分が評価され、扱われる可能性があることを知っている。誰もが経験すると言ったのは、そのためだ。「忘れっぽい」とか「人に冷たい」など、誰もが何らかの形でステレオタイプ脅威を経験している。ひょっとすると一日に何回も。(p.20-21)

ステレオタイプ脅威にさらされると、パフォーマンスも悪くなるそうです。

ステレオタイプ脅威にさらされると、ステレオタイプを追認すること(「やっぱりダメだなと思われるだろうか」)、追認が引き起こす結果(「やっぱり人種差別主義者なんだなと思われたら、どんな反応を示されるのだろう」)、ステレオタイプを覆すためにすべきこと(「わたしは善良な人間であることを示すチャンスはあるだろうか」)などについて、気をもむことになる。そうした思考の反すうが脳からゆとりを奪い、目の前のタスク(標準テストや異なる人種の人との会話など)に集中できなくなる。ステレオタイプ脅威は、生理的反応を引き起こすだけでなく、思考を邪魔して、パフォーマンスにダメージを与えるのだ。(p.158)

大人だけの問題ではありません。子どもでも、ステレオタイプ脅威にさらされることはあります。

基本的な問題を検討しておきたい。すなわち子どもは、ステレオタイプ脅威を感じるほど心理的に成熟しているのか。女の子であるとか、黒人であるといったことを理由に、ネガティブなステレオタイプを持たれる可能性を理解できるのか。
この点について、本書は意図せずいくつかの証拠を示してきた。第五章で紹介したナリニ・アンバディを思い出してほしい。ボストンで、ステレオタイプ脅威が、アジア系の少女たちの数学の成績に与える影響を調べた心理学者だ。最も若い被験者は、5~7歳の女児だった。アンバディは、被験者に年齢相応の数学のテストを与えた。そしてテスト開始の直前に、同年代の女の子が人形を抱いている絵のぬりえをさせることで、ジェンダーに関連するイメージを喚起させた。塗り絵の内容は、風景画もあれば、アジア系の子どもが箸でご飯を食べている絵もあった。人形を抱いている絵のぬりえをした5~7歳の女児は、風景画またはご飯を食べている絵のぬりえをした女児たちよりも、数学テストの成績が著しく悪かった。つまり5~7歳の女児でも、女の子が人形を抱いているようなありふれたサインによって、数学の能力を発揮できなくなるのだ。彼女たちは、自分の集団が数学でどのように見られているか十分感じることができたようだ。(p.218-219)

ステレオタイプ脅威を乗り越えるための実践も書かれていました。これも、授業でやれないかな、と思いました。自己肯定化作業、大事。

そこで二人(※ジェフリー・コーエンとフリオ・ガルシア)はバレリー・パーディーポーンズと、ジェフリーの学生であるナンシー・アプフェルとアリソン・マスターの協力を得て、コネチカット州ハートフォード近郊の人種的に統合された学校の7年生(中学校1年生)を対象に実験を行うことにした。教員は新年度が始まってすぐ、担任の生徒全員に、一人ひとりの名前が書かれた封筒を渡す。このとき無作為に選ばれた半分の生徒には、自分にとって最も重要な価値(家族関係、友達関係、音楽で秀でていること、信仰など)を2つか3つ挙げ、その理由を一段落の短い文章で説明せよという指示が入っている。つまり、これらの価値観を個人のナラティブとして構築してもらうわけだ。作業時間にして15分ほどの簡単な課題で、生徒たちは書き終わった用紙を封筒に戻して、先生に手渡す。その後、学期中に同じような作業を何度かする。それだけだ。
一方、それ以外の半分の生徒は、要領は同じだが、自分にとって最も重要でない価値を書き出し、それが他の人には重要かもしれない理由を書くという指示を与えられる。つまりこのグループは価値観について考えたものの、自分を肯定するナラティブを構築する機会は与えられなかった。果たして自己肯定化をするかしないかという小さな違いで、学校の成績に影響が出るのだろうか。
影響は出た。それも劇的に。自己肯定化作業は、新学期が始まってから3週間で、生徒(ただし最も優秀な黒人生徒は除く)の成績を前年度よりも上昇させた。なかでも、前年度に最も成績が悪かった生徒の成績が最も改善した。この成績上昇は、自己肯定化をした授業でも、それ以外の授業でも見られた。さらに自己肯定化作業により、生徒たちがその学期全体を通じて、人種的ステレオタイプについて考える時間が減ったことがわかった。自己肯定化作業をしなかった個人生徒の成績は下がり続け、学期が進むにしたがい、人種間の成績差格差は一段と大きくなった。一方、自己肯定化作業をした黒人生徒たちは、成績の低下がストップしたか、ペースが鈍化して、白人生徒との成績格差は40%も縮小した。(p.223-224)

「ステレオタイプの科学」としてステレオタイプ脅威を縮小する戦略が2つ提示されています。僕らにもできることはあると思いました。

本章で紹介した研究は、ステレオタイプ脅威を縮小する戦略を2つ提示している。第一に、ステレオタイプ脅威は、環境に存在するサインによって引き起こされるから、こうしたサインをできるだけ取り除くこと。その環境に、ネガティブなステレオタイプを想起させるサインがないか目を光らせ、見つけたらそれを変える。(略)
第二に、ある環境におけるアイデンティティ付随条件を変える努力を尽くしたら、ステレオタイプ脅威にさらされている人が安全を感じられるよう支援することだ。(p.234-236)

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