雑司ヶ谷鬼子母神堂
先週、新井薬師に行った際は、余勢を駆って雑司ヶ谷の鬼子母神堂へ!と思ったのですが、その時はもう夕方で疲れていたので、行きませんでした。次の土曜日も実家に帰る予定があったので、先週と同じく仕事帰りに、雑司ヶ谷の鬼子母神堂へ行くことにしました。
雑司ヶ谷に鬼子母神堂があることは知っていましたが、具体的にどういうお堂なのかよく知りませんでした。しかし、前々から気になっていたところではあります。
この日は副都心線がホームドアの故障でダイヤが乱れていたので、東上線で一気に池袋へ。そこから副都心線に乗り換え、一駅で雑司ヶ谷の駅へ。
しかし、明治通りに面した駅前は閑散としていました。
ここでデジカメを出して、写真を撮ろうとしたら・・・
「メモリーカードがありません」
・・・・しまった!
この前撮った写真を移し替えた時にパソコンにSDカードを入れっぱなしだった。
なんか天気も悪いし、今日はやめとこうかな・・・とは思ったのですが、せっかく雑司ヶ谷の駅まで来たし、行ってみようと決断。
そこで・・・
まずはコンビニへ。
もう最近は4GBのSDカードでも、1000円くらいで帰るんですね。
安くなったなぁ。
無事にカメラは使えるようになりました。
コンビニに立ち寄ったので、鬼子母神堂へは裏からアプローチするかたちに。
でも、裏から入るのは、なんかアレなんで、正面へ歩いていきます。
表参道側に着くべし!
鬼子母神の字に注目。「鬼」って字、なんか変。
鬼子母神と言えば仏教の守護神。
ところが、その昔は夜叉の妻であり、ものすごい数の子どもを持つ母親でもありました。
しかし!
彼女は、夜叉の妻らしく、人間の子を捕えては子どもに食べさせていたという怖ろしい女でありました。
怖い!
それを知ったお釈迦様。
ある日、彼女が一番愛していた末っ子を、隠してしまった。
末っ子は可愛いですもんね(自分も末っ子なので、可愛がられました)。
彼女は大パニックに。狂乱状態で方々を何日も何日も探しても見つからない。
探すのに疲れ果て、途方に暮れている頃にお釈迦様、その末っ子を抱えて登場!
そうして彼女に向かってこう言いました。
「お前は今、この子がいなくて嘆き、悲しんだだろう。人間も子を失えば悲しむのだ!」
と言って、末っ子を彼女に返しました。
それ以来、彼女はすっかり改心し、逆に仏法と子どもを守る守護神になったのでした。
めでたし、めでたし。さすがお釈迦様、かっこいい!
きっとインドの在地信仰が出発点なんでしょうな。
というわけで、改心した後の鬼子母神は、「鬼」じゃないので「ツノ」がないって、ことで鬼子母神の「鬼」の字をツノなしで書くことは珍しくありません。
ただ、パソコンでそういう漢字は出ないですな。
そんでケヤキ並木を進んで・・・
曲がってしばらく行くと、鬼子母神堂がありました。
独立したお寺に見えますが、雑司ヶ谷の鬼子母神堂は、近在の日蓮宗法明寺というお寺の境外仏堂です。
変わったデザインの天水桶を発見。いいね。
お堂は東京都の指定文化財。寛文4年創建というので、江戸初期の建立ですな。
隣接する児童公園を遊ぶ子どもたちの声が響く、いたって庶民的なお堂でした。
境内には石造の鬼子母神あり。
鬼子母神の姿は、彫刻でも絵画でも、怖ろしい鬼形と穏やかな菩薩形に分かれています。
でも、この鬼子母神はどこか微笑んでいるみたい。
鬼子母神は法華経信仰者の守護神とされており、祀られているのはほぼ日蓮宗の寺院です。
ちなみに改心後の鬼子母神は、お釈迦様に「今度から人間の代わりに、味が似ているザクロの身を食べさせるように」と言われたので、ザクロを持っている場合があります。
ちなみにこの鬼子母神堂にもザクロの描かれた絵馬がありました。
ザクロと言えば、昔、小学校のグラウンドのすみに、ザクロの木があって、悪ガキたちがよじのぼって、ザクロの身をむしゃむしゃやっていたが、どんな味がしたんだろうか・・・
私は当時「うわぁ・・・」と思いながら、見ていました。
鬼子母神のお話は知っていたが、食べてみようとは思わなかった。
裏へ回ってみると、なんだかこの鬼子母神堂は、神社建築みたい・・・裏に本殿らしき流造の建物が・・・
・・・と思いきや、これは妙見堂らしい。
なんじゃあ、これは。鬼子母神堂と背中合わせで妙見堂。しかも両者はつながっている。ずいぶんと不思議な形態です。
いや、違う。妙見堂はこの鳥居の奥にある小さい社らしい。やっぱり、背後にある大きい流造の建物は、鬼子母神堂の本殿だった!
どっちにせよ、変わった配置。お堂というより、祠といった方が適切かもしれない。
ただし、こちらは中国思想の影響を受けたものです。
拝殿を改めてみてみると、権現造。やっぱりほとんど神社建築です。
ふむ・・・なかなか見どころ満載。
お札をいくつか入手。しかし、鬼子母神の御影(おすがた)が欲しかったが、なかった・・・
駄菓子屋があった。
子どもらがお菓子を物色中。外で元気よく遊び、駄菓子屋に行く子供たち。
ここは、どことなく昭和の風景。
表参道を真っ直ぐ出ていくと、都電の「鬼子母神前」電停に出る。
これまた古めかしい警報機。
都電。かつては東京にたくさん走っていたらしいが、交通渋滞を引き起こすため、次々に廃止に。
都内で残るは、この荒川線だけになってしまった。
都電・・・乗ったことないな。あれ、でもこんな電車なんだ。
なんかイメージと違う。
道路なんてどんなに拡張しても増やしても、都内の渋滞を抜本的に解決することはできないんだから、むしろ、路面電車やトロリーバスのような公共交通機関をちゃんと整備すればよかったのに。
札幌、松山、長崎などで路面電車に乗りましたが、あれは便利でいい感じだった。
もっと東京にも、とは思うが・・・
というわけで、雑司ヶ谷駅まで戻るべし。
なんか閑散としている。
東京の地下鉄で一番新しい地下鉄副都心線。
かつての路面電車にかわって、東京は都営と東京メトロの地下鉄網が張り巡らされている。
そして、その地下鉄網を利用して、東西南北の私鉄が縦横無尽に首都圏近郊各線へ乗り入れる。
それはそれで便利なのだけれども、運行形態はどんどん複雑化するし、ラッシュ時の遅延は広い範囲に蔓延していくし、駅はずんずん深くなるし・・・
東京で電車に乗るのは、結構一苦労だと思う。
そんなこんなで帰るべし。
(おわり)
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