勝楽寺(愛川町)
と言うわけで、飯山観音を出ると、宮の里を通って、国道412号線を津久井方面へ向かう。
しかし、もうお腹が限界。本当に空腹で元気が出ず。
今まで一人でドライブする時は結構、昼食を抜きにすることも多かったが、さすがに無理。
途中、和食のファミレスの「麺処サガミ」があったので、迷わず入る。
1000円以上のものをがっつり食べて、ようやく空腹問題は解決。
「サガミ」の駐車場から。
山が見えるっていいなぁ…
というか、暗い。
まだ3時なのに、もうほとんど夕方。
というわけで急いで412号を愛川方面へ。
鎮守に、奥山方広寺の半僧坊(はんそうぼう)を勧請していることから、「田代半僧坊」の通称で知られている。
駐車場がちゃんとある。
しかも412号からダイレクトに入れるようになっている。
勝楽寺前を、さきほど走ってきた412号が通る。
この周辺は、412号は築堤と高架橋の構造になっている。
よく見ると、412号の高架橋の下をくぐって参道が続いていた。
総門も412号線の向こう側にあった。
おそらく本来は、この県道沿いが本筋だったのだろう。
バス停の名前も「半僧坊前」である。
バイパスのような形で、いまの412号が作られた時、勝楽寺の境内が分断されるような形になってしまったのであろう。
さて、もといた場所に戻る。
勝楽寺の案内看板があった。
中に入ると、立派な山門が見える。
こう言っては悪いが、こんな田舎にしてはずいぶんと重層で立派な山門である。
上の屋根は入母屋で唐破風までついている。
何となく建長寺の山門と似ている。
このような二階建ての山門は、たいてい上の階に羅漢がいる。
建長寺のものもそうだった。
案の定、階段が見える。
山門の案内板もあった。
境内へ入ってみる。
誰もいなくて静か。
本堂もなかなか立派だ。
こちらは道元?
顔つきからたぶん道元。
奥へ行くと、半僧坊のお社があった。
半僧坊のお社は、奥山も鎌倉もみんなこんな形ね。
田代半僧坊。
明治期に流行ったせいか、お寺よりも鎮守の半僧坊の方が有名になり、そのお寺の通称になってしまう場合が多い。
小さい十王堂があったり…
お地蔵さんがいたり…
そんなこんなで、そろそろ帰ろうと、駐車場からこの写真を撮っている時に事件は起きた。
駐車場にタクシーが入ってきた。
こんな普通のお寺にタクシーとは。
「おや、寺の人がタクシーで帰ってきたのかな?それとも参拝客?」
そう思いながらも写真を撮っていたら、ドアが開いて何やら賑やか。
ちょっと離れた場所から後ろを振り向くと、おそらくタクシーから降りてきたのであろう女性が自分の車のそばにしゃがんでいる。
「なんだろう?なんか車にイタズラされたら嫌だな」と思って、眺めていると様子が変。
その女性、ジーンズを下してお尻を出してしゃがんでいるのだ。
「ええ!?」
と思ったが、やがてわかった。
要するにその女性、タクシーで催して私の車の影で排泄しているのだ。
ふざけんな、と思った。
そりゃ、生理現象だからしかたないとは思うが、自分の車のすぐそばで排泄されては誰だって良い気分はしないだろう。
だが、正直、どうしていいかわからない。
その女性、僕がいることもわかっているはずなのに、一切こちらには目も向けず、「ティッシュちょ~だい」とか言っている。
嫌だなぁ、と思いながらも、一応、相手は女性なので、マジマジと見るわけにもいかず・・・駐車場を後にし、また山門の写真などを撮る…
入れ違いに、たぶんお寺の関係者の方と思われる車が駐車場へ。
たぶん、あの車の運転手も、タクシーと女性の「現場」を目撃したであろう…
それで、どうなったかはわからない。
しばらくして戻ると、女性もタクシーもなかった。
恐る恐る自分の車の後部、女性がいた付近に行くと…
現場発見。ティッシュ捨てていきやがった。
後から、なんでこんなもの写真に撮ったんだろうと、元データは削除。
よって、このブログの写真しか残っていないが、よく見るとタイヤまで「液体」がかなり接近。
本当、ふざけんな。野ション女。
おしっこは、トイレでしましょう。
間違っても持ち主が近くにいる車のそばでするんじゃないよ、まったく。
まぁ、大便じゃなかっただけ、マシとしようか。
帰る。完全にやられた。あとはずっと野ション目撃事件のことしか考えられなくなった。
おまけに勝楽寺までもが、「立派な山門があるお寺」から「野ション女を目撃したお寺」というイメージになってしまった。
しかも圏央道の相模原ICまで迷って、いったん津久井の方まで行ってしまった。
わかりづらい。もっと案内看板をデカデカ作って欲しいのと、早く津久井広域道路が伸びて欲しい。
いろいろあって、冬の寂しい日曜日は、いっそう寂しく終わるのでした…
<おわり>
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