當麻寺―中之坊―(葛城市)
続いて私たちは當麻寺の塔頭(子院)の一つ、中之坊へと向かった。當麻寺は真言宗と浄土宗の並立の寺で、現在13の子院がある。中でも真言宗の西南院と中之坊、浄土宗寺院の奥院と護念院から毎年交代で當麻寺の住職が出されている。中之坊は中心的な塔頭の一つだが、中将姫が剃髪した場所という伝承を持ち、また庫裏と重要文化財の書院、そして庭園が有名だ。
拝観受付を済ませると、書院をぐるっと回る形で庭園をめぐることとなる。
まず、最初に中将姫が剃髪をしたという剃髪堂と導き観音の堂が私たちを迎える。
この中之坊で新たに知ったことがある。
それは当麻曼荼羅を織ったとされる中将姫のことを、私は折口信夫の『死者の書』で藤原南家(ふじわらなんけ)の郎女(いらつめ)のモデルということしか知らなかった。
だが、実は中世から近世にかけて、この中将姫の伝説は「継子いじめ」の形態を加えて、様々な形で脚色されていき、お芝居や能、浄瑠璃、歌舞伎などの題材として多く用いられた。
これは知らなかった。
さらには、婦人病の悩みを持つ人たちの信仰があった、という民俗的なものも面白い。婦人病の神様と言えば、紀伊の淡島明神を思い起こすが、この中将姫も婦人病に悩まされた、という言い伝えからそうなっているらしい。
庭園に入る入口近くの祠。稲荷社らしい。重厚な造りだ。
さて、いよいよ庭園入り口。
入ってみるとこの景観。見えている五重塔は東塔である。
ちょうど紅葉が美しい時期であった。
お池沿いに歩いていく。
この寺の秋の美しさは形容し難いものがある。
ひとしきり庭園を回るとぼたん園のそばに折口信夫(釈迢空)の歌碑がある。
少し読みにくい。
傍らにある案内板に頼れば、「ねりくやう すぎてしづまる 寺のには はたとせまえを かくしつゝゐし」と読める。
案内板には次のようにあった。
言うまでもなく、當麻寺は折口信夫の『死者の書』の舞台である。折口は青年時代から何度もこの寺を訪ねていたという。
さらにほど近くには佐藤佐太郎の歌碑もある。
こちらは
とある。
特に解説は書かれていなかった。
しかし、蜂の音とはこの後、ずいぶんタイムリーなものを目撃することになる。
佐藤佐太郎(1909~1987)は、アララギ派の歌人。斎藤茂吉に師事した。
茶室にて抹茶を頂き、その後、書院を見学した。
名残惜しくも、たっぷり満喫した當麻寺を後に、私たちは近鉄電車の当麻寺駅に歩いて行った。
途中、わざわざ少し歩いて大津皇子(『死者の書』では、滋賀津彦)が眠るとされる二上山の山容を拝んだのであった。
この後は近鉄電車に乗って橿原に出て、橿原神宮を拝んで、京都に出て、京都駅で豪華な食事をしてから、新幹線で東京に帰りました。
◆おまけ
行きは気付かなかったが、帰り際、仁王門の前に人だかり。見ると…
なんと仁王様(阿形像)にたくさんのハチが群がっているではないか…!(画像ではわかりにくいが)
なんと二ホンミツバチが仁王像の頭の中に巣を作ってしまったらしい。
あとから調べたら、この事態はなんともう4、5年前からだという。駆除しようにも大がかりになってしまうため、放っておいてあるんだそうな。
まあ、スズメバチの巣なら大変だけど、貴重なニホンミツバチであんまり人を攻撃しないとなると、別に…ってことになるよね。
写真には撮らなかったが、ここの上にちゃっかりと大きなクモ(ジョロウグモ?)が巣を張っていて、そのクモは獲物の独占状態で、ブクブク太っていた。いいところに巣を構えたもんね。
(おわり)
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