シルクファクト岡谷(岡谷市)
これも夏のお話。去年の夏の休暇を利用して、気になっていた「岡谷蚕糸博物館 シルクファクトおかや」に行ってきた。
ここは、旧「岡谷蚕糸博物館」が移転し、2014年にリニューアルオープンした。
諏訪地方では、諏訪市と並ぶ地域の中心都市・岡谷は、かつては「糸都(しと)」、すなわち製糸業で栄えた町であった。そんな岡谷の製糸業を記念する博物館。
入り口。場所はちょっとわかりづらい。移転したので、カーナビにも新しい場所は登録されていない。
隣接する「岡谷商工会議所」を目指すとよい。
施設はできたて。新しくて綺麗。
桑が植えてあった。恥ずかしながら本物の桑を見るのは、これがはじめてであった。
裏にも植えてあった。
内部の写真は撮れなかった。絹(シルク)の原材料となる生糸。これは、カイコという蛾が作る繭を解きほぐしてとる。織物産地で名高い桐生・足利に代表されるように、古くから絹は日本でも織られていた。
幕末の開港で、日本産の生糸の輸出が始まり、明治期にかけて生糸は国家を支える主力輸出商品となった。主要な生産地は、関東の内陸や長野県である。
特に器械製糸が普及すると、動力源や製造に使う水を確保する関係上、諏訪湖やそこから流れ出す天竜川沿いにたくさんの製糸工場が進出した。
「生糸の都」岡谷のはじまりである。
生糸産業に携わる労働者は、いわゆる「女工さん」と呼ばれる女性の労働者だ。
細い生糸を扱うには、手先が器用でないとできないからだろうか。
女工たちは、長野県内だけでは確保できず、「あゝ野麦峠」のみねさんみたいに、県外から出稼ぎの女工たちが岡谷にたくさんやってくる。
みねさんは岐阜県出身だが、博物館の展示資料によると、隣の山梨県から来る出稼ぎ労働者が非常に多かったようだ。
当然、当時はまだ労働環境に対する考えが現代とは違う。
「あゝ野麦峠」のような過酷な労働環境もあったであろう。
だが、製糸業は明治日本の近代化、工業化にまちがいなく貢献した。
品質の良い日本の生糸は、外貨を稼ぎだす主力商品に成長したのだ。
日本の産業革命は、こうして内陸で行われた軽工業から始まったのだ。
長野の県歌「信濃の国」にも、製糸業は「国の命をつなぐなり」と歌われている。
かつて、こうした明治期の産業は、学校の授業でも、その労働環境の悲惨さばかりがクローズアップされていた。
しかし、確かに社会運動史的にはそういった面にも、決して目をそむけてはならないのだが、一方で製糸業の近代日本への貢献もまた忘れてはならないと思う。
私が思うのは、製糸業で活躍した女工さんたちを、われわれはどこか悲惨な労働環境の中で酷使され、「かわいそう」という視点で見ている気がする。
だけど、実際はどうだろうか。
そこで、この博物館の話に戻る。
この博物館の目玉は隣接する現役の製糸工場である宮坂製糸場とセットになっていること。
一通り、展示を見た後は、実際の器械製糸によって糸をつむぐ作業を間近に見ることができる。
これがすごかった。
本当に職人技である。
製糸業は、現在のロボット化・機械化された産業とは違い、熟練工によるものである。
女工たちは、糸をつむぐ腕がよければよいほど、高額な給料を貰っていた。
腕の良い女工は、他の工場から高額なオファーで引き抜かれることもあったという。
彼女たちは、きっと自分たちが、故郷に残した家族たちを支え、会社を支え、そして社会と日本という国の産業を支えていたことに、プライドと誇りを持っていたのではないだろうか。
彼女たちの労働環境は、確かに厳しかったかもしれない。
だけれども、僅かな休みには、彼女たちは岡谷の町に繰り出し、映画を見て、写真を撮り、ショッピングをして、花火を見て、そして恋をした。
年末には、お土産を携えて、故郷へ帰る女工たちで中央線の岡谷駅はごったがえした。
岡谷の町はそれで栄えた。
この町は、1936年諏訪郡平野村から町を経ずに単独市制公布を行っている。
長野県内では、長野、松本、上田に次いで4番目に市になった。
町には写真館や娯楽のための映画館、福利厚生のため病院も建設されている。
実は私もかつて製糸女工に対しては、「あゝ野麦峠」的なイメージしか持っていなかった。
だが、この夏の前の年、野麦峠に行って、そこで出会った「峠の資料館」の方から、野麦峠と製糸女工の話を聞いて、悲惨な歴史ばかりではないということを知り、今回岡谷まで来たのだ。
幸いにも近年、明治期の産業遺産に関わる世間の評価は変わりつつある。
というのも、製糸業関連では2014年に群馬県の富岡製糸場が世界遺産になり、続く2015年には「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」が世界遺産に登録された。
明治期の製糸女工たちに対するイメージも、今後変わっていくだろう。
私はそれまでの「悲惨」なイメージから、むしろ日本の近代化を担った人々として敬意をはらいたいものだ。
◇ ◆ ◇ ◆
そんな「シルクファクトおかや」とても良い施設でした!特に動体展示は見ものです。
おすすめ、岡谷の蚕糸博物館。皆様もぜひ、行ってみてください。
製糸の技を見た後は、これも気になる上諏訪(諏訪市)にある片倉館へ。
明治の初め頃、諏訪湖のほとりで製糸業をおこし、片倉兼太郎。彼の起こした製糸工場は、やがて日本最大の製糸企業となる。彼の弟で養嗣子となった二代目片倉兼太郎は、「シルクエンペラー」の異名をとり、製糸業以外にも進出、片倉財閥を作り上げた。
世界遺産の富岡製糸場もかつては片倉工業の所有であった。
そんな二代目片倉兼太郎が欧米での視察旅行で、企業の地域に対する社会貢献を目の当たりにし、中でも健康福祉施設の充実ぶりに深く心を動かされて作ったのが、この片倉館である。
具体的には温浴施設で、一度に100人が入浴できる「千人風呂」で知られている。
お風呂に入ってみたが、ヨーロッパ風の作りで確かに100人ぐらい入浴できそうだ。
ちなみに、こんな感じ。中央は深く、座ることはできない。立ったまま入浴することになる。
だが、なかなか良いお風呂であった。
「シルクエンペラー」片倉兼太郎、実は横溝正史の小説『犬神家の一族』に出てくる片倉佐一のモデルとされている・・・
ちなみにこの日は、諏訪湖祭の湖上花火大会を控え、上諏訪は賑やかでした。
諏訪湖沿いには、他にいろいろな美術館があるので、諏訪地方は芸術の町でもあったりする。
諏訪は見どころいっぱい!満足な旅でした。
(おわり)
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