諏訪大社上社前宮(茅野市)
長野旅では、朝の温泉へ行った後、諏訪大社へ。本当は上社の本宮へお参りしたかったのだが、なぜか駐車場がまったく空いておらず、駐車場を求めてグルグル。仕方がなく、空いている前宮へ。
諏訪上下の4つの社の中でも、もっとも原初的な信仰の形を残しているという諏訪大社の前宮は、鳥居前町が形成され、賑やかな他の社とは違って、とても質素である。
だが、諏訪の祭祀、諏訪信仰発祥の地とされるだけあって、境内はとても神聖な雰囲気に包まれている。
駐車場は、152号に面したところにあり。
だが、実際にはこの大鳥居の横を通り抜け、境内に駐車することも可能。この場合、石段を登らずに済む。
とても穏やかな晩秋の一日。この日はとても暖かかった。
そして、紅葉がまさに見ごろだった。
この後、厳しい冬を迎える諏訪。その前の穏やかな晩秋。
ここには上社本宮や下社のような立派な拝殿はない。
この地は諏訪の神官、大祝(おおほうり)の諏訪氏が最初に居館を構えた場所であったとされ、諏訪祭祀の中心地であったようだ。
ただし、近世期は上社本宮の境内摂社のような位置づけであったらしい。
これは内御霊殿(うちみたまでん)。諏訪の神体は、時代によって変遷があり、時には神官(大祝、おおほうり)そのものが御神体であった時もあった。
内御霊殿は流造(ながれづくり)。昭和の改築とのことだが、これ以前の内御霊殿は天正期の造営であったとのこと。
こちらの十間廊は、諏訪の神様に捧げる貢物を並べる建物。どんな貢物かというのは・・・
まぁ・・・言ってしまうと、鹿の頭などである。
だが、さすがに現在は本物を使うわけにはいかず、上社で行われる御頭祭(おんとうさい)は剥製を用いている。
ちなみにその鹿の生首に、串刺しにされたウサギのレプリカなど結構、衝撃的な神饌(しんせん)の復元は神長官守矢史料館(茅野市立)で見ることができる。
諏訪の上社は、他に御射山(みさやま)祭などに代表されるように結構狩猟神としての性格を持っている。
対する下社は、筒粥神事などをやるように農耕神なのだ。
いろいろ複雑でわけがわからない諏訪信仰
それだけではなく、もともとミシャグジ神という諏訪の土着の神がこの信仰の由来なのだ、という説もある。
ミシャグジ神は蛇形だというのだが、中世なんかには諏訪の神は巨大な大蛇となったり(昔話にもこのことは出てくる)、本当にいろいろ複雑。
いつかちゃんとまとめてみたいが・・・
美しい紅葉を眺めながら、そこから登る、登る・・・
本当に紅葉が美しい。
そして、のどかな秋の日。
境内には清流が流れいい感じ。かつて夏訪れた時は、とても涼しげだった。
茅野の町を見下ろす。
立てる一木の御柱。
紅葉の山をバックに、孤立するその姿はとても雄々しい。
拝所に到達。
御柱。その横を流れる川。
さながら御柱から清流が湧き出しているがごとく。
本殿を持たない諏訪大社の形式は、原初的な基層信仰の形態を強く匂わせる。
この前宮社も拝所を中心に木々がうっそうと生い茂るエリアが囲われている。
茅野の町を見下ろす。茅野は、諏訪地方の市町村で最大の人口を持つ(約5万人)。
ただ、市街地の形成具合や産業は諏訪や岡谷の方が規模が大きいように見える。茅野の人口が多いのは単に面積が広いのもあるのかもしれない。
こちらにも御柱。さながら御柱から清流が湧き出すが如くである。
そして、ここから流れ出た水が茅野の町を潤す。自然と信仰に彩られた諏訪地方は、長野の中でも特にお気に入りのエリアだ。
ところで前宮社の社殿後方に行ってみると・・・
なぜのエリアが。
「前宮マレット・ゴルフ場」
マレット・ゴルフって何?
というか、前宮社の社殿後方の直後にこんなのがあるとは何か意外…
さらに進んだこの木に猿がいた。ゆさゆさと枝をゆすって、実を食べていた。
私を見つけて逃げていったが、猿もいるんだ・・・
ちなみにこの前日、蓼科へ登っていく途中に夜のビーナスラインでキツネと衝突しそうになった。
過去には春先を中心に蓼科で、鹿と出会ったことが数回ある。
動物が身近な環境というべきか、我々の自然破壊の結果と言うべきか。
でも、キツネって犬みたいで可愛いね。
◆ ◇ ◆ ◇
泊まった山荘でのご飯。
ラーメン。
(おわり)
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