最恩寺(南部町)
最近、社寺を訪れる際、建築に注目しています。特にその建築が古ければ古いほど、遠い遠い過去からそこにあり続けた歴史の息吹を間近に感じたいと思うのです。 さすがに飛鳥文化とか天平文化とか、そういうレベルの建築は京都とか奈良とかに行かなければありません。しかし、中世くらいまで下ると、割合関東とその周辺で散見されるようになります。そして、この中世期ぐらいの古建築がどのようなものがあるか、手っ取り早く知る手段として重要文化財の一覧を見るという方法があります。 この情報は自治体のホームページ等で容易に知ることができ、その結果から気になる古建築をピックアップしていきました。
さて、その結果、古建築の中でも社寺建築で昨今、私が注目している禅宗様の建物で、一つ気になるものを見つけました。 それが山梨県の南部町というところにある最恩寺の仏殿です。
南部町は、南巨摩郡に属する町で、山梨県の中でも最南部に位置します。 身延の南方にあたりますが、たぶん生活圏はほとんど静岡県でしょう。 甲府よりも、身近な都市はおそらく富士や富士宮なはずです。 そんな山間の静かな町にある最恩寺は、臨済宗妙心寺派の古刹で、ここになんと中世(14世紀)の禅宗様建築の仏殿が残っているというので、さっそく行ってみることにしました。
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最恩寺は、南部町福士の集落はずれにあった。
福士は山間の静かな集落だが、目下、中部横断道の建設のためか大型ダンプが集落内の道路を行ったり来たり。あちこちに紅白の旗を持った誘導員が立っている。 南部町は地名の通り、あの盛岡の南部氏の祖先発祥の地である。 なお、福士集落は現在は南部町であるが、これは2003年に隣接する南部町と合併したためで、それ以前はここは富沢町の町域であった。
近くでお花の手入れをしていたおばあさんに「ちょっとお寺の写真を撮らせていただいても良いですか」と声をかけると、「どうぞ」と快く返事をもらったので、さっそく撮影スタート。一声かけた方が、人の目を気にせずに撮れる。 境内は広くはなく、入ると右に青い瓦屋根の本堂、左にさっそく件の仏殿があった。
こちらがその仏殿。
この角度からだと逆光が辛く・・・これはいかんともしがたかったが、至極残念。 正面も逆光の影響が・・・
こちら側に回ってようやく順光だが・・・
光の関係で上手く取れなかったのが残念ではあったものの、小ぶりな仏殿は息を呑む美しさであった。 禅宗様の仏殿というと、どうしても有名な円覚寺の舎利殿や、東村山・正福寺の地蔵堂のような大ぶりな堂を想像してしまうが、以前訪れた清白寺の仏殿と同様、山梨にはこの小ぶりな禅宗様の仏殿が多い。 きめ細かい禅宗様は、実はこの小ぶりなサイズこそがもっとも美しいように思われる。
室町時代初期の建築ということで、昭和28年(1953)に内部の厨子・棟札とともに国の重要文化財の指定を受けている。 江戸時代に火災に遭い、往古の伽藍は仏殿のみとなってしまったが、大変貴重な文化財だ。
解説板のところにいたクモさん。
最初、コガネグモと思ったらぶら下がり方が前傾姿勢なだけで、普通のジョロウグモだった。 気づけばもうジョロウグモもこんなサイズになっている季節だった。
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細部を見ていこう。まず特徴的なのは、垂木がない!ということだった。
ずいぶん質素であっさりとした印象を覚えるが、シンプルでこれはこれで良い。 また、これまた禅宗様で特徴的な花頭線を持つ扉や花頭窓も美しい。
弓欄間(ゆみらんま)の美しさも、禅宗様を特徴づける。芸が細かい。
板壁である。これは当たり前か。
最後は木鼻と詰組。
上層が小ぶりで、下層が大きいので正面から見ると、やや寸胴な印象を受けるが、斜めから見るとそうでもない。 少し離れて屋根。現在は銅葺きのようだ。過去はどうだったかわからない。
鬼瓦、懸魚(げぎょ)、大瓶束(たいへいづか)。もっとズームすればよかった・・・
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しかし、建物の美しさはもとより、この中世の建築が地方の静かな山間の集落に残っているということ自体に大変感銘を受けた。 個人的には国宝クラスだ。 非常に良いものを見させてもらいました。 禅宗様は気になるが、関東で中世期のものであと未見なのは、東村山の正福寺の地蔵堂のみかな。 あとは車で行ける範囲だと岐阜県に気になるものがある。 ずいぶんと長距離の遠征になるが、見てみたい。 下関にはなんと鎌倉期の禅宗様建築があるということで、これも見てみたいが・・・
(続く)
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