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當麻寺―伽藍堂塔―(葛城市)

叡福寺であらかじめお願いしてあったタクシーに乗り、私たちは太子町から一路東へ向かう。国道166号(竹内街道)で府県境を越え、奈良県葛城市へ入る。距離としては7kmほどだが、途中山越えがある。自動車で20分ほどの旅だった。

當麻寺の参道に入り、仁王門が見え始めた頃、車が連なって渋滞し始めた。運転手さんは「ここは天満宮の駐車場なんですよねぇ」と言う。當麻寺の仁王門は見えていたから、ここで降ろしてもらっても構わなかったのだが、運転手さんはしきりに「ここはまだ違う」と言う。

 どうも運転手さんは大阪の人だから、奈良には詳しくなかったようだ。

それで設定してあったカーナビの指示と、そこに表示されている地図にある當麻寺の門前の小さな天満宮を見て、當麻寺の仁王門を天満宮のものと勘違いしていたらしかった(あるいは私たちを少しでも中心伽藍の近くで降ろそうとしていてくれたのか)。

運転手さんにすべてを任せていた私たちは無理に「ここで構わない」とは言わなかった。それで彼が「天満宮の駐車場に止めるための渋滞」と思っている車列の横を抜けた私たちの乗るタクシーは仁王門横の狭い道を抜け、少し上がったところの道に止まった。

富田林駅から叡福寺までと、それから當麻寺までお世話になったタクシーの運転手さんとはここでお別れ。運転手さんはいい人で、僕らが帰りは近鉄電車で京都まで出ることを言うと、当麻寺駅までの道順も教えてくれた。

大阪から来た和泉ナンバーのタクシーが富田林に戻っていくのを見届けると、車酔いに苦しむ妻の手を引いて、私は心を弾ませ、境内に入っていった。

本当は仁王門から順に行きたかったが…

結局私たちは北門から入るかたちとなり、その脇参道を登っていくと、いきなり国宝の金堂と中将姫の像がお出迎え。

「すごい!」

念願の當麻寺を前にいきなりテンションが上がる。

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しかし、ここまで一切食事をしていない。ちょうどお昼時でお腹も空いていたので、結局、境内を逆戻りして、さっきタクシーで通ってきた表参道に出て、食事処に入った。

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食べたのはうどんと奈良の名物柿の葉寿司のセット。

妻は「にゅうめん(温かい素麺)」を食べた。

奈良と言えば、柿の葉寿司の他に三輪素麺が有名であるからか、ここらへんは素麺を出すお店が多かった印象だ。

 というわけで、お腹も満腹になったら、気を取り直して當麻寺へ。仁王門から順に境内を参拝することにする。

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この仁王門は東大門にあたる。建造の年とかはわからなかったが、県の有形文化財の指定を受けている。

なお、この東大門の向かって右側の仁王さんが大変なことになっていることに気づいたのは、帰りのことであった。

この写真の門の中から二上山の姿がちょこっとのぞいていることに気づいたのは、だいぶ後になってからのこと。それにしても良いアングルだ。もうちょっと上手く撮りたかったな。

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さて、當麻寺と言えば中将姫伝説の他に「練供養(ねりくよう)」で有名だ。

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観音や勢至菩薩など二十五菩薩のお面や格好をした人々が練り歩くもので、私は昔、何かの本でこの様子を見たことがある。

奈良の代表的な年中行事だが、幼い頃は本越しに「ちょっと不気味な感じ」がしていた。なお、私の実家の近く、九品仏浄真寺では「おめんかぶり」という同様の行事がある。関東ではそちらのほうが有名であろうか。

練供養は正式には「聖衆(しょうじゅ)来迎(らいごう)練供養会式(えしき)」といい、中将姫が宝亀6(775)年3月14日に生きたまま極楽往生を遂げたことにちなみ、もともとは中将姫の命日である旧暦3月14日に行われていた。

しかし、明治時代に新暦5月14日に変更され、さらに2019年からは看板にある通り毎年4月14日に変更となった。

さて、境内。二上山を見ることができる。

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こちらにある鐘楼。かかる鐘は日本最古の梵鐘とされ、白鳳時代のものとされる。

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鐘は高いところにあるので間近で見ることはできない。国宝の指定を受けている。

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さらに進む。向かって左の入母屋造の堂が金堂。右の寄棟造の堂は講堂である。ともに重要文化財の指定を受けている。

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講堂は鎌倉時代の再建。私が普段暮らす関東じゃ、中世期の建築なんてたいそう貴重だが、関西に行くと、こうして当たり前のように中世期の建築物がゴロゴロしているから、こちらも重要文化財止まりだ。中には多くの仏像があるが、後述。

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金堂も鎌倉時代の再建。中には天武朝の創建時からあるとされる塑像の弥勒菩薩など諸仏がある。

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そして金堂と講堂の間を抜けると、正面にあるのが国宝の本堂である。本堂だが、本尊の当麻曼荼羅を安置することから曼荼羅堂とも呼ばれる。

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堂は平安時代の永暦2(1161)年の造営だが、中世期以降は金堂からこちらが當麻寺の信仰の中心となっていった。

堂の脇には中将姫の像がある。

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本堂(曼荼羅堂)は、平安時代初期の造営だが、一部に奈良時代の木材が使われているのと、中世にも屋根の修理が行われている。

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この中には當麻寺の中世以降の信仰の中心である当麻曼荼羅が安置されている。

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中将姫が織ったという伝説を持つ根本曼荼羅は劣化が激しく、現在見ることはできない、ということは事前の情報で知っていた。

でも、せっかく来たからと拝観料をはらって、本堂に上がると…

なんと天平時代の巨大な曼荼羅厨子と、それをのせる鎌倉時代須弥壇を間近に見ることができ、至極感激した!

さらに厨子には中世(室町時代)の写本がかけられており、これも間近で見ることができたのだ!

素晴らしい経験にとにかく胸が弾む。

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中将姫が織ったという伝説を残す当麻曼荼羅の原本(根本曼荼羅)は、中世には劣化のため板張りにされたが、江戸時代の修理の際、軸装に戻された。中世期以降、傷みが激しくなったようで近世期までの間にたびたび絵で補われている部分がある。

また中世に2回(鎌倉時代の建保曼荼羅[現存せず]と室町時代の文亀曼荼羅)、近世に1回(貞享曼荼羅)、写本が描かれており、私が見たのは中世の写本(文亀曼荼羅)であったのだ。

なお、当麻曼荼羅は一般的な密教曼荼羅とは違い、浄土世界を描いたものである。このようなものも曼荼羅というのである。

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寺内は他にも仏像などがあるが、とにかく当麻曼荼羅厨子を間近で見ることができた経験は他でもない、大変すばらしいものであった。

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興奮はまだまだ続く。拝観券では他に金堂と講堂の拝観もできる。

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本堂をあとに下がって、講堂、それから金堂の順に進む。

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まず、講堂(写真右の建物、鎌倉時代)。

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講堂内の仏像は中尊の阿弥陀如来像を筆頭に、ゾロゾロと立ち並んでいる感じ。

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阿弥陀如来像は平安時代(藤原時代)の大きなもので、他に珍しい妙幢(みょうどう)菩薩像などがあった。妙幢菩薩とは初めて聞いたが、地蔵菩薩のことか、と現地の案内板および案内音声にはあった。

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阿弥陀如来像や地蔵菩薩像はもう一体ずつ、すべて平安時代から中世にかけての仏像のようだ。どれもこれもなかなか良い!

一方、金堂(鎌倉時代)内に安置されている仏像群は、なんと白鳳文化のもの!本尊の弥勒菩薩像は大きな大きな塑像で、塑像としては日本最古だという。

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まわりを取り囲む四天王像は乾漆像で、これも乾漆像としては日本最古だという。法隆寺の金堂須弥壇上の像(飛鳥時代)ほどではないにしても、動きの少ないきわめて古い四天王像の造形をしており、非常に良い。髭が生えているのも特徴的だ。乾漆像であるだけ壊れやすいのか、中世に木を使った修理がなされているのと、四像中、多聞天のみ鎌倉時代の木造の後補である。

金堂の裏手には、日本最古とされる石灯籠がある。

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そして、この奥に行くと国宝の東塔と西塔に行けたようであったが、完全に見逃した。

他にも見どころはたくさんあったが、すべてを紹介できるわけではない。

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国宝の東塔や西塔は見逃しているが、これはまた来るための機会を得たととらえるべきか。

ともあれ、中心伽藍と諸仏を見終わった私たちは塔頭の中之坊へと向かうことになった。

(続く)

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