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大山寺その1(伊勢原市)

久しぶりに伊勢原の大山に行ってきた。特段大山に何か見に行きたいものがある、ということもなかったのだが、とにかく近年は仕事を巡る様々なことで疲れていたので、気分転換を図りたかった。大山に行ったのはブログの記録を見る限り、2013年のことで8年も前のことである。

あの時は友人と大山山頂まで登山をした。伊勢原駅まで小田急線で行き、神奈中バスとケーブルカーを乗り継いで阿夫利神社の奥の登山口から登っていき、アクシデントもあり日向薬師の方へ降りたのであった。

この時は登山が主目的であったこともあり、山腹にある大山寺へは寄らなかった。

今回は主に大山寺への参拝をメインの目的としたので、妻を連れ立って出かけた。

今回は車で現地へ向かう。大山への登り口となる大山ケーブル駅は、県道611号大山板戸線の終点から「こま参道」を10分ほど歩いたところにある。

 ここまではバスだと伊勢原駅から大山ケーブル行きのバスが出ている。車の場合は、かつては東名厚木ICからのアクセスであったが、8年前とは状況が違う。圏央道に新東名と新しい道が続々とできた。

ことに昨年3月開通したばかりの新東名高速道路の伊勢原大山インターを使えば、246を経ないで、大山口たる「石倉橋」交差点にアクセスできる。高速さえ空いていれば、東京方面からのアクセスは格段に良くなった。

駐車場は「こま参道」の入り口に公共(伊勢原市営)と民間が複数個所ある。もともと市営駐車場に止めようと思っていたのだが、直前の電光掲示板に、より「こま参道」に近い「市営第2駐車場」は満車の情報が出ていた。

この日は平日ではあったが、登山客が多く利用しているのかもしれない。それで「空」表示が出ていた、「こま参道」からは遠い「市営第1駐車場」に駐車した。

しかし、あとから見ると「こま参道」に近い「市営第2駐車場」も、その他の似たような料金設定の民間コインパーキングも、ガラガラであった。無駄に歩く羽目になってしまった。

だが、そのおかげで前回はバスで通り過ぎてしまった「良弁滝」にも立ち寄ることができた。

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良弁(ろうべん)は、奈良時代の僧で、あの奈良の東大寺の開山僧となった高僧だ。

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良弁は不詳ながら相模国の出身という伝説があり、大山の開山ともされている人物である。

それと鎌倉地方では、良弁は関東草創以前の鎌倉における伝説の人物、染屋太郎大夫時忠の子である、という伝承が残されている。

なんでも良弁は幼い頃に鷲にさらわれて、二月堂の前の杉に引っかかっていたのを、僧の義淵に助けられて、僧侶になったというのだ。

これらはすべて『大山縁起』などに載る話なのだが、鎌倉では鷲にさらわれてしまった染屋太郎大夫時忠の子は3歳の娘として伝えられている。しかも、どう考えても助かってない不気味なお話が各地に残されている…

この日は薄曇りで滝自体は暗くて撮れなかった(昨年入手したミラーレス一眼、使い方がわからず、ストロボが発光しないのだ)。

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滝といっても豪快なものではない。細い水がチョロチョロと流れている。

手前の立て札にはこんなことが書かれていた。


開山堂(良辯堂)良辯僧正は東大寺の初代別当で相模の国の人、持統天皇三年(六八九年)に誕生し、宝亀四年(七七三年)入滅と東大寺要録に書かれている。大山では、東大寺二月堂の大杉に懸けられた良辯僧正が、山王の使いである猿に助け降ろされたという伝説がある。このお堂には、僧正四十三歳の像と猿が金鷲童子(こんじゅどうじ)を抱いた像が安置されている。

大山観光青年専業者研究会

これがその開山堂。立て札によれば中には良弁と猿の像があるらしい。

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この日は扉は開いていなかったが、昔、NHKの「小さな旅」でこの中の像が写っていた気がする。

この日は薄曇り。まさに大山の別名「雨降山(あめふりやま)」にふさわしい。

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なお、これが6年前にとった大山の山容である。平塚に近い伊勢原市三ノ宮付近からの眺望である。

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大山は相模平野のどこからもその姿を見ることができる。富士山のような美しいピラミッド型の山である。修験道による通常の山岳信仰だけでなく、「雨降山」の別名からわかる通り、農民の尊崇を受けた山である。なにしろ農業には天水が欠かせない。

明治以前の信仰の対象は山頂に祀られた石尊権現であった。そもそも延喜式の神名帳には「阿夫利神社」の名は見えるものの、大山への崇拝はその神宮寺たる大山寺と一体となった信仰を形成していた。

蒸し暑い中、ゆるやかな上り坂の車道を妻と汗をたらしながら歩みを進める。

ようやく「こま参道」の入り口に到達した。

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「こま参道」への歩みを進めると、途中に茶湯寺(ちゃとうでら)の入り口がある。

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ここは私はいったことがない(今回も行かなかった)。

しかし、ここには特徴的な民俗が残されている。

すなわちこの寺にお参りすると、その帰りに亡くなった人にそっくりな人に出会えるという。また、故人の霊を百一日の茶湯で供養する「百一日参り」の寺としても有名だ。

 「こま参道」。雰囲気は好きだが、この日は平日&コロナのためか活気がない。

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そんなこんなをしているうちにケーブルカーの乗り場についた。

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20分間隔で一時間あたり3本運転されている。切符は途中下車が可能だ。

車両は近年新しくなったから、8年前の記事で登場したクラシックな車両にはもう乗れない。

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かわりにモダンな車両で阿夫利神社まで登っていく。

すれ違う途中の大山寺の駅で途中下車。

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なお、大山ケーブルカー(大山観光電鉄)は、この車両の更新の際に架線をすべて撤去してしまったらしい。そもそもケーブルカー自体は山上でエレベーターのようにケーブルを巻き取るだけだから、動力は必要としない。しかし、ケーブルカー内の照明や機器類を動かすために、電車と同じように架線を張って、パンタグラフから電力の供給を受けるのが通常なようだ。

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しかし、時代も進み、電池の能力が向上したことから、大山ケーブルでは山上、山下の駅と途中駅でのみ、架線によって給電し、ケーブルカーに備わった蓄電池で電力を供給し、途中の架線は全部取り払ってしまったそうだ。

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郊外のローカル線で同じようなことをしているところはあるが(JR烏山線)、ケーブルカーが使う照明やドアの開閉装置等で使う程度の電力は、いまや蓄電池で十分なのだろう。20分間隔ともなれば、駅での充電時間もまあまああるし。とはいえ、電池の技術の発展のすごさには驚くばかりだが。

だが、そんな最新な技術を使っていながらの、大山寺駅のこの秘境駅間はたまらなく愛おしい。上下のケーブルカーが去ったあとも、両者が山上・山下につくまで巻き上げられるケーブルの音が周囲に轟く。

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大山寺はこの秘境駅から山道をしばらく歩いたところにあった。

(続く)

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