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蓮馨寺(川越市)

読者登録しているSo-netブログ「ぶらりんザムライ」のがんびーさんが、以前、群馬県太田市の大光院のレポートを記事にしていた(「爆撃機の名にもなった子育て呑龍 大光院」)。 そこで大光院が「子育て呑龍さま」の寺として崇敬を集めていることを知った。 この「呑龍さま」なのだが、江戸時代初期の浄土宗の僧であるという。なかなかの高僧であったようだが、一般に「子育て呑龍」の名で知られているという。

「子育て呑龍」の由来は、捨て子や貧しい人たちの子を引き取り、上人の弟子という名目で7歳になるまで寺の費用で養育したことからだという。 へぇー、そうなんだって感じで大光院に行ってみたくなったのだが、その呑龍さまを祀るお寺が他にも各地にあることがわかった。 それが意外や意外、居住地の近くの川越市、蓮馨寺(れんけいじ)もそうなのだという。 そこでさっそく行ってみた。  
※去年の12月のことです。 

西武線の本川越駅から歩いて10分くらいであろうか。

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川越市街地の中心、蔵造りの街並みへ行く途中に蓮馨寺はあった。

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さっそく「子育呑龍」の文字が並ぶ。

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蓮馨寺は浄土宗の壇林であったようだ。

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壇林とは僧侶の養成所、学問所のことであり、浄土宗の場合、江戸時代に関東に18の檀林が定められていた。 蓮馨寺はこの一つであったようだ。 城下町にふさわしい格式高い寺だ。 「呑龍デー」でもにっこり笑っているのは、びんずる様である。

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町中にあるお寺なゆえ、参詣客が絶えない。

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ちょくちょく家族連れがお参りに来たり、若い女性グループが御朱印を求めたり。

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今なお川越の人たちの信仰が篤いようです。

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なお、ちょうどこの時、姉が第2子妊娠中で、出産も間近だったので、私も安産をよくよく拝んでおきました。 無事に生まれたから、川越の呑龍さまのおかげですな。

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雰囲気はとってもよく、落ち着いてのんびりできるお寺でした。

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天台宗の良源(元三大師)、真言宗の空海(弘法大師)、日蓮宗の日蓮や日朝さま・・・ その他、聖徳太子など高僧信仰は日本仏教で普遍的だが、こうした民俗的信仰(子育て)が織り交ざった高僧信仰が自分の中で浄土宗にはあまりイメージを持てなかった。 だから、呑龍の話は新鮮だった。 ちなみに札所(授与所)で絵札(御影)を発見。 さっそく授かります。

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しかし、呑龍の名は、実は他にも知られている。 太平洋戦争中に日本が作った一〇〇式重爆撃機の通称が呑龍なのである。 なお、神奈川県鎌倉市の円覚寺の塔頭の一つに桂昌院という寺がある。 この寺の境内には、呑龍地蔵という石のお地蔵さんがあるのだが、この地蔵尊は「呑龍」爆撃機の飛行隊の生存者たちが、戦没者の供養のために建てたものらしい。

【参考】鎌倉市円覚寺・桂昌院の呑龍地蔵

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呑龍(百式重爆撃機)を操り、大東亜の空を雄飛し、フィリッピン作戦では、数字に亘るレイテ、ミンドロ爆撃を、殉國の士は菊水特攻隊を編成し、敵機動部隊に必殺の肉弾体当たり攻撃を敢行し、或はタクロバン敵飛行場に空挺隊員と共に強行着陸して斬込隊となる。尚又残留部隊は瘴癘の地、良く飢餓に堪え、多勢の敵に勇戰、遂に悠久の大義に就く、まさに鬼神を泣かしむ。幸に本日靈の供養を爲す。呑龍地蔵大菩薩希くは世界の平和と、我等戰友の至福と日本民族の繁栄を護り給え。
昭和五十二年三月二十日
第五飛行団 飛行第七十四戰隊飛行第九十五戰隊生存者一同

爆撃機の通称「呑龍」は、この飛行機を作った中島飛行機の工場が太田にあったことに由来しているのであろう。 子育てに霊験あらたかなお坊さんの物語と、爆撃機という組み合わせが何とも不思議な感じである。 呑龍さんも自分の名前が、子育てどころか、人々の上に爆弾を落とし、特攻機にもなった飛行機の名前に使われるのは複雑であったろうに。 ただ、いっそう大光院に行ってみたくなった。 しかし、蓮馨寺、読めないね、書けないねの難読寺名。ちなみにある場所、連雀町(れんじゃくちょう)も難しい。

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(おわり)

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