自分で決めること、楽しむこと

わたしのことは、わたしが決める
わたしのカラダは、わたしのもの

自分で決めること(決められるかどうか)は、自分の人生を楽しめるかどうかに深く関わっていると思います。誰かの顔色を伺って決めたり、知識が無くて周囲に流されるように決めたり、いつも誰かに指図されて、誰かのゴキゲンを損ねない選択をし続けるのは、たとえそれが安全であっても楽しいことではありません。ただ、暴力に遭わずに済むだけのこと。

こんな記事がありました
”休校中”急増する少女の妊娠相談 学校が休みになり、外出が自粛され、仕事が減り、在宅勤務が増え、お店が休みになったり閉店したり…暮らしにいろんな影響が出ていますが、10代の妊娠も増えている、と。

もし、自分の娘が「妊娠したみたい」or息子が「妊娠させたみたい」と相談したら、何と答えますか? 自分の娘や息子ではなく「◯◯ちゃんが妊娠したみたいなの」と口にするかもしれません。

さて、どうしたらいいでしょう。

たとえばの話、いわゆる「できちゃった結婚」の知らせには、無条件の祝福を贈りたいと思います。「結婚して、産んで、育てる」って決めたんですから「おめでとう」です。

中学生や高校生(ときには小学生も)が「妊娠したみたい」「妊娠させたみたい」と告げてくれるそのとき、なにか決めていることは少ないと思います。それよりも「どうしたらいいの?」という不安でいっぱい。まず第一に必要なのは「助け」であって「ジャッジ」ではありません。

・あなたがどうしたいか決められるように力になる
・あなたが決めたことを尊重し、サポートする

まず、わたしが伝えたいのはこの2点です。

もし、「妊娠したみたい」という第一声にうろたえながらも否定しちゃいけない、ネガティブになっちゃいけない…と苦し紛れに「おめでとう」なんて言ったとします。すると、学校に行けなくなっちゃう、産みたくないと思っていたのに「中絶はいけないことなのかな?」というノイズが生じるのです。だから、こちらの感情や希望は脇において、不安の真っ只中にいる相手が主体性を取り戻すのを補佐する役割に徹したいと思います。

第一に、妊娠なのかそうでないのか、妊娠だとしても子宮外妊娠じゃないことを確認し、性病の検査もしたほうがいいので、とりあえず医療機関に行く必要があります。そして、妊娠が確定したら、産むのか、産まないのか、産んで育てるのか、産んで里子に出すのか…妊娠したら、生理が止まって、お腹が膨らんで、お産して、母乳が出るようになるのは、女性です。だから妊娠出産授乳をするのかどうか、妊娠している本人が誰の意向も気にせずに自分で決定するのです。決めるための情報がなければ手渡す必要がありますが、あくまでも決めるのは本人。

まだ身長が伸び切っていないような幼いカラダで妊娠した場合、その危険性についてもつたえなくちゃいけません。学校が休学できるのかどうか調べ、交渉することになるかもしれません。中絶するなら12週になる前にしたほうがいいとか、経済的なことや、相手との関係も含め、考慮に入れることは山程ありますが、とにかく本人が決められるように情報提供をするのです。

そして決めたことを尊重し、サポートする。

これもネットからの拾い物ですが、いまだにこんな本が存在するというのがこの国の現状ですから、うっかりしていると女の子は自分らしさを手放して「男子からどう見えるか」という消費される性に我が身を明け渡してしまいかねないのです。

性教育というと「命の大切さを伝える」ことも大切で、むしろそれを期待する方もおられるのですが、それは性教育でなくてもできることです。性教育で誕生の神秘や命の大切さを理解したところで、「自分で決める」「自分で決めていい」「わたしのカラダはわたしのもの」という肝心なところが伝わっておらず、決めるための情報もぼんやりしていたのでは、主体的な人生を楽しむことはできません。ファンタジーの中に暮らしているわけではありませんから、実践可能なチョイスが手の届くところにあるのがいちばんなのです。

次回の「子どもと話せる性のはなし」(←click)は
24日(日)10時からです。

キーワードは…タブーからの解放。ごはんレベルの性の情報。サイエンス、アート、テクノロジー。理科の先生、国語の先生。オープンマインドとプライバシー。気になるものがあったら、どうぞご参加ください。

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