数分前に失恋した

明日、会う予定だった。
明日、バレンタインのチョコを渡す予定で、お気に入りのチョコを買っていた。

はじめて、結婚したいかもと思える人だった。
私は、結婚したい欲があるわけではなかったのに、はじめてだ。

見た目も、性格も、育った環境や考え方も、好きだった。
そんなこと、まずないだろうと思う。だいたい、27年生きてきて、ここまでいいと思える人に出会えたのが初めてなんだから、日常的にはまずないはずだ。

今後これ以上は出会えないと思う。

涙も出ず、悲しいのかもよくわからず…これは放心?
いや、悲しいはずなんだけど、ただ、ざわざわと心がうるさく、からっぽの脳内が落ち着かなくて寝れなくなってしまった。
だから久々にnoteを書いている。

この世界で、本当に心を動かされるものや、景色や、ひとにであうことは、私にとって稀だ。昔はそうでもなく、はじめてのことにはたいてい感化され、たくさんのお気に入りのことばや、たくさんの大好きな音楽や、たくさんのあこがれの人がいた。
でもいつしか大人になってから、いろいろなことに動じなくなって、いろいろなものを見聞きして、いろいろなひとをしって、私は本気で傷つくことも、本気で好きになることも、ほとんどなくなった。
わるいことばかりじゃない。私は自分をまもるのが上手い。でも、恋愛はしづらかった。

そんな私が、ひょんなことから本気で好きになって、本気で傷ついた経験を最後にしたのは23のときだった。そのときの大失恋を機に、ああ、もうここまで自分を追い込むような恋はしないと決め、そこからはさらにフラットな自分になったと思う。

それが今回、27になって。またこれか。

私はある意味、学んでいない。いや、今回は本当に普通に恋をして、普通に楽しくて不満も何もなくて、結婚したいとまで思っていたのに。その人は別の女性のもとへいった。
ものすごく謝られて、本当に好きだったとか言われて、なんだかもう、何も言う気になれず。今までありがとうと返した。
あなたが選んだならきっと素敵な人だろうとまで返した。
いや、私はそれでよかったのか?
でもそう言いたいくらい、愛があったのだ私は。私はその愛をまもりたかったのだ。最後まで
いや違う、最後まで私は嫌われるのが怖かったのかもしれない。
あほらしい、考えたって無駄だ。
だって好きなら、当然だろう?それだけの話だ。

ほかにもいろんな人がいる、ほかの人と出会えるはずだ、マッチングアプリとかやってみたらと、自分を鼓舞してやりたいのに、そんな気持ちになれない。
「私は私であって、このままだろう」と、脳内の私が語りかけてくる。いやなやつだ。

手に入れることだけが人生の価値じゃないと、私にいってやりたい。
私はそれを既に知っているだろう、と。

祖父母にいつまでおはようを言えるかわからない。両親だってそうだ。
いま手元にある幸せを、噛み締めていなくては。それを失う日もいつかはくることをかんがえれば、手に入れることに囚われることのナンセンスさに気づく。

あるいは、手に入らなかったことだって、私の糧となってきたはずだ。本当に好きだったことの経験が、無駄になることはきっとない。
いや、無駄だとしても、私がそれを無価値だと評価することは絶対にない。

おかしい。
少しでもポジティブな気になるために書き始めたのに、涙が出てきた。
おかしい。

明日はただの平日になった。
いつも通り、朝7時に起きて出勤するのか。
同僚たちにチョコを配って、いつも通り昼食を食べたり、仕事をして、そのまま帰って、本命チョコは自分で食べる?

嫌だ。そんなことできるんだろうか?
友達はいても、気分的に話す気にもなれない。
既婚の子達にはなおさら、聞いてもらうのも申し訳ないような内容だ。
励ましを求めているわけでもないのに。

朝、早めに起きて、美味しいカフェラテでも飲む?
行きたかったお店でランチをたべる?
帰る前に、最近行けてないジムに寄って汗を流す?
本命チョコは父にでもあげる?
欲しかった服とか買っちゃう?
いや、エステとか整体いってマッサージしてもらう?

ばかみたいだ、本当に。自分の機嫌をとること、自分をまもることのプロといってもいい私は、なんだって切り替えるためにやるべき行動が列挙できるのだ。

だがなんともならない。そのうちフラットにもどったとして、そしてまた人生はつづくのだ。また、手に入らなかった経験を、糧にしたと言い聞かせて。なんてやるせないんだ。

自分がいつ死ぬことになるかわからないが、その日が早かれ遅かれ、その瞬間まで、こうして日々はつづいていく。
まだこうして、空っぽになるほど泣くことができるんだね。久しぶりに確認できたよ。

傷付いているらしい、いまとても。


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