マガジンのカバー画像

RAKUGOBIYORI(らくご日和)

31
噺家・玉屋柳勢( タマヤ・リュウセイ )のブログ。寄席のこと、自主公演のことに加え、歌舞伎のことや趣味のことまで。
運営しているクリエイター

#噺家

トリを終えて(池袋演芸場二月下席)

まずは、お越し下さったお客さま、池袋演芸場の皆さま、ご出演下さった師匠方、先生方、前座さん、弟弟子、協会事務局の皆さまに心より御礼申し上げます。 また、楽屋へお気遣い下さいました皆さま、本当にありがとうございました。 お客様からは、「寄席としての醍醐味を味わえた」「流れが素晴らしかった」など、多くのお褒めの言葉を頂きました。顔付けして下さった河村さん(池袋演芸場支配人)のおかげです。 さて、 改めまして、 2月下席、池袋演芸場昼席のトリ、 無事勤めることが出来… ま

トリのご案内

この度、 2月下席、池袋演芸場昼席でトリを勤めさせて頂くことになりました。 アタクシにとってはこれ以上ないくらい有難い顔付け。 お知らせ出来て本当に嬉しいです。 昨年の暮れに協会から連絡があり、トリが決まったことを師匠・市馬に報告しました。 「良かったなぁ。見てくれる人は、ちゃんと見てくれてるんだな。(2月下席は)元々休みの予定だったけど・・・出るからな!」 と喜んでもらえたようで。 地味ながらもコツコツやっていることを師匠はわかってくれていたんだなぁ、と嬉しく胸がい

正楽師匠のこと

紙切りの林家正楽師匠がお亡くなりになりました。 初席でご挨拶したばかりでしたし…信じられません。 アタシの二ツ目時分の名前『市楽』は正楽師匠から頂きました。 二ツ目昇進が決まって楽屋で「名前どうしようかね?」なんて話しをしていたら、正楽師が「キミに『いちらく』をあげるよ」 正楽師が以前名乗っていらした『一楽』を紙切りでなく噺家のアタシに?と驚いていると、 「市馬さんの弟子なんだから、『いち』は市馬さんの『市』ね」 これで『柳亭市楽』に決まりましたから、アタシにとって

寄席の『浅い出番』とは。『お血脈』『風呂敷』『甲府ぃ』(玉屋噺の会のご報告)

真打ちになって2年半。 寄席では、主に前座さんと二つ目さんの次の出番、真打ちの最初の出番を頂いております。 俗に『浅い出番』と言われますが、これで中々大事な出番なのです。 寄席は毎日様々なお客様がいらっしゃいます。 ご常連の方、初めてのお客様、観光やバスツアーでいらした方・・・などなど。 トリが変わればお客様の層が変わるのは当然ですが、同じトリでも10日間毎日違います。 陽気な日、重たい日、新作がよくウケる日、まくらはよく笑って頂けても落語本編ではウケない日。 同

圓窓師匠のこと

落語協会から連絡がありまして、圓窓師匠がお亡くなりになったそうです。 アタシが入門(約18年前)した頃には、圓窓師匠は腰を悪くされてあまり寄席には出演されていませんでした。 うちの師匠や圓太郎師匠の世代はよくお稽古をつけて頂いていたそうです。 アタシは直接お稽古を付けて頂いてはいませんが、 持ちネタでは『甲府ぃ』、『三年目』、『短命』、『叩き蟹』、『佐々木政談』辺りはネタ元が圓窓師匠です。 他にも、一朝師匠の『尻餅』、さん喬師の『そば清』、 宿屋の主が養子で紐を引っ張

金翁師匠のこと

5年くらい前だったでしょうか。 金翁師匠が、若い頃に手掛けた新作の台本を落語協会に預けた という話を、孫弟子のときん兄さんから聞きました。 アタシは師匠の元にお伺いし、 これから台本を読ませてもらい、今でも出来そうな作品があったらやらせて頂きたい そう師匠に申し上げました。 すると、 「ああ、どんどんやって。ただ作家の書いた作品なので、その人や遺族の許可を取らなくてはいけないので、高座に掛ける前に知らせてほしい。 それから、自分の前でもやってもらいたい」 そう

会場選びについて(事務局) 「噺の種」 (202206追記)

その後、「噺の種・第22回」はアーツ千代田3331・地下1階のマルチスペースにて開催する事となりました。 以前、中学校だった場所。 どこか懐かしく、どこかほっとする、そんな素敵な会場です。 古いものを大切に活かし、文化芸術を発信する場所。 落語では伝統を重んじながらも試行錯誤を重ね、噺家としての在り方や働き方では新しい事にも挑戦。そんな玉屋柳勢に打って付けの場所。 残念ながら大規模改修工事のため来年3月から施設が利用できなくなるそうですが、それまでは「噺の種」会場とし

継承された話芸とは。 (あなたは「わかる人」ですか?)

ルール違反のまやかしか、継承された話芸か。 その落語を聞けば、わかる方にはわかる。 と思います。 さてさて ちょっと刺激的な言葉を使わせて頂きましたが・・・ あなたは「わかる人」ですか? 様々な師匠方を通り抜けて、磨かれてきた古典落語。 落語は、ネタ元かネタ元に近い方に習いに行く、というのが大原則。 特に、特別なサゲやくすぐりのある噺は、そのサゲやくすぐりをお考えになった師匠にまで許可を得たり、と、きちんと筋を通さなければなりません。 それがプロとしての礼儀。

噺家にとってのお座敷とは (寄席とお座敷と。)

戦後すぐ。 寄席は沢山あるけれど、ホール落語が今ほど無かった時代。 昭和の名人と言われた桂文楽を筆頭に、人気のある噺家はお座敷に呼ばれて落語を申し上げていたそうです。 そして格の高いお座敷に呼ばれる事は、噺家にとってステイタスでした。 「君、そんなことでは、お座敷に連れて行けませんよ」 そんな小言があったほど。 彦六師匠が鰻「神田川」のお座敷に呼ばれた際のエピソードが、正雀師匠の著書にありました。 正雀師匠がしゃかりきになって前座をつとめたら、 「慣れている話を

2021年を振り返って

みなさま、2021年も残すところ数日となりました。 今年もランキングを発表いたします。 タイトルをクリックすると「噺のネタ」で投稿した記事をご覧いただけます。 <高座に掛けた回数ベスト5> ①『源平盛衰記』 1分単位で時間調整ができる地噺。どの持ち時間でも掛けやすいので…。 ②『やかん』 毎年ベスト5の常連。年毎にマイナーチェンジしてます。 ②『がまの油』 一昨年は随分掛けましたが、去年は0回…。ようやく、酔っ払いのリズムが掴めそうな…。 ④『つる』 大好き!シンプルで

意見が別れる楽屋での評価。誰に可愛がられるかで…。

「昭和の五大名人」は、志ん生師匠、文楽師匠、円生師匠、大師匠小さん、そして三代目三木助師匠と言われています。 あの談志師匠も三木助師がお好きだったようですが…不思議な事に楽屋では、師匠方によってその評価は別れるようです。 少し刺激的なご発言ですが、小三治師匠は『TBS落語研究会柳家小三治全集』の扇橋師匠との対談の中で、こう仰っています。 「私はこの人(扇橋師)の師匠だった三代目桂三木助という人の噺を、あまり好きじゃありませんでした。(中略)なぜかというと、

¥100

「寄席」「景清」ヲ上野ヨリ…(鈴本演芸場ニテ)

               都内にある五つの寄席。中でも、格式ある鈴本演芸場でトリを取らせて頂けるというのは、噺家にとって最も栄誉なこと。 噺家たるもの、寄席で活躍できてこそ。 アタシの所属する落語協会では、二ツ目時分は、二ツ目枠があるので何とか出演させて頂けますが、真打ちになれば話は別。すべての真打ちとの真剣勝負。実力も人気も無ければ、定席に出ることすら叶いません。 お披露目の興行は、まさに真打ちへの第一歩。 そんな鈴本演芸場近くには、落語『景清』の舞台となった