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【HISTORICAL OF RINGOMUSUME】りんご娘年表 2004年

りんご娘年表 2004年

2004年1月4日 
現在まで続く自主興行ライブ「RINGO MUSME. POWER LIVE 2004」が弘前駅前市民ホール (現・弘前市民文化交流館ホール)にて初開催。
※当時保有しているほぼ全てのオリジナル曲を披露したほか、りんご娘.専属バックバンドのケノシルが初参加。

2004年3月31日 
第4期 未希ライフ 脱退。

2004年4月 
青森放送(RAB)にて放送された江奈滋家の食卓に、ジョナゴールドレギュラー出演。それに伴い、りんご娘.メンバーも出演。

2004年4月4日 
「りんご娘.と歌う会 平成十六年 春(RingoMusume. LIVE 春)」を弘前市 Orange Countyにて開催。

2004年6月 
紅玉(2代目)活動休止(10月末に脱退)。

2004年6月20日
7th Single「焼きりんご」をリリースするも、リリース後に1度もオリジナルメンバーで歌えず。

2004年7月11日 
「りんご娘.と踊る会 平成十六年 夏」を弘前Mag-Netにて開催。新メンバーとして第5期 レッドゴールド(後のレットゴールド)が加入。
※この辺りから、ワンマンライブにおけるりんご娘.専属バックバンド ケノシルのサポートがより強力となる。

2004年10月10日 
初の東京ワンマンライブとなる「りんご娘.をかごむ(囲む)会 平成十六年 秋」を六本木BACK STAGEにて開催。

2004年10月31日
第4期 つがる(2代目)、紅玉(2代目)が脱退。

度重なるメンバーチェンジ

2004年はりんご娘史上最もメンバーの入れ替わりが激しい1年となりました。

 2004年3月31日 第4期 未希ライフ 脱退。
 2004年6月 第4期 紅玉(2代目)活動休止。
 2004年7月11日 第5期 レッドゴールド(後のレットゴールド)加入。 
 2004年10月31日 第4期 つがる(2代目)、紅玉(2代目)脱退。

メンバーチェンジにより歌割りや振り付け、フォーメーションの変更等がたびたび発生していましたが、ジョナゴールド(初代)・金星(初代)を中心にりんご娘.としてのクオリティを維持します。

2003年9月のデビュー時に4人いた第4期メンバーが、1年後に1人にまで減ってしまった点を見ると、りんご娘.というグループが青森県内でのポジションを確立しきれておらず、グループでの活動と将来の人生設計を両立することがまだ難しい段階であったことが伺えます。

紅玉(2代目)活動休止問題

2当時、人気も高かった第4期メンバーの紅玉(2代目)ですが、2004年5月8日に六ケ所村で行われた2004たのしむべフェスティバルの参加を最後に活動を休止します。

HASPから発表された理由は「ルール違反があったから」という理由でしたが、本当の理由は「事務所の方針に対して抗議したところ謹慎処分を受けた」ということでした。当時のファンは納得出来ずに、公式掲示板への書き込みや事務所に対して問い合わせを行ったりと荒れていたようです。

http://www.unknown24.net/bbrk/20040710

BBRK 04-07-10の記事より

結局、10月31日付で紅玉は脱退してしまい、6月にリリースされた「焼きりんご」をリリース後にオリジナルメンバーで披露することは叶いませんでした

もう1人のレジェンドメンバーが加入

2004年7月11日に行われた単独ライブ「りんご娘.と踊る会 平成十六年 夏」にて、第5期メンバーとなる「レッドゴールド(後のレットゴールド)」が加入します。

練習生として加入した当時は、敬語が使えなかったというので驚きです。2004年春のオーディションで練習生入りし、7月の単独ライブで加入とかなり早いデビュー。それだけ、歌やダンスでは即戦力だったということでしょう。

りんご娘.激動の2004年に加入し、2013年3月の卒業までジョナゴールド(初代)と共にりんご娘の礎を築き上げたりんご娘の歴史を語るうえで欠かせないレジェンドメンバーの1人です。

音の三原色時代

サビでソロを取ることが多く、ヴォーカルリーダーとして歌唱面で引っ張った金星(初代)、ハスキーボイスと爆発力のある歌声で支えたジョナゴールド(初代)、メンバーイチ地声での高音が出せファルセットもキレイなレッドゴールドの3人によるハーモニーは、2003年のりんご娘.とはまた違う魅力の持ったハーモニーでした。まさに、音の三原色が重なり合って生み出されたハーモニーとでも言うべきでしょうか。

この時期、歌唱力の高さを活かしたアコースティックVer.での歌唱を度々行ったほか、2004年11月に行われた山形県酒田市のご当地アイドルSHIPとのジョイントライブでは、今も歌い継がれる名曲「JONKARA」をりんご娘.として初めて歌唱したりと、音楽面での飽くなき挑戦は続きます。

さらに、この3人体制になった直後の2004年10月頃から、約半年間かけて伝説の1st Album「青森林檎」のレコーディングを行いました

初めての東京ワンマンを2004年に開催していた

2004年10月10日、今は無き六本木BACK STAGEにて初の東京ワンマンとなる「りんご娘.をかごむ(囲む)会 平成十六年 秋」を開催していました。

https://www.value-press.com/pressrelease/135

VALUE PRESS 2004年10月5日 記事より

2018年9月16日に代官山LOOPで行われたRINGOMUSUME SHIPMENT LIVE -初めての東京ワンマン-の14年前に、実は初めての東京ワンマンを開催していたのでした

ご当地アイドルとしてのポジションを確立しはじめる

2004年頃から、メディアでご当地アイドル(地方アイドル)というジャンルが確立されはじめPerfume(広島県), Negicco(新潟県), SHIP(山形県酒田市)などと併せて、全国放送の番組でも紹介される機会が増えます。

2000年9月結成のりんご娘.はご当地アイドルの草分け的存在として取り上げられていましたが、地元紙の取材やイベントでは「自分たちはあくまでもダンス&ヴォーカルユニットであり、アイドルではない」ことを度々強調していました。


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