優しい話


「優しさ」ってなんだろうか?と日々思う。特に社会人になってからは。

ひたすらに優しい言葉をかけてあげること?

ダメなことはダメだよってきちんと伝えられること?

正しくないことだとしても、その人が望む言葉をかけてあげること?

きっとどれも正解なのだ。でも私はどうすればいいのか分からなくなる。みんなに優しくしたい、人に好かれたい、そう思いながら日々必死で生きている。

私は自分でもびっくりするほど八方美人で、いつもみんなに好かれたくて仕方ないので、他者と関わる時にはそれはもう精一杯優しくあろうとする(他人からどう思われているのかは置いておいて)。

そしてここ最近の私の「優しさ」は基本的にはその人が望むことばを探すところから始まる。表情、声色、日々の仕事ぶりや日常の愚痴から、その人が今かけて欲しいであろう言葉を選んで吟味して発する。だから私の普段思っていることとはかけ離れたことを言うこともあるし、なんなら前回と正反対の声かけをすることもある。

中学までの私はどちらかと言えば自分の意見ははっきり言うほうで、友達の悩みに対しても「それはダメだよ。違うよ」と躊躇なく返していた。


優しさってなんだろう

わたしはいつも祖母から至上の優しさを感じる。特に社会人になってからは。「そのままでいいんだよ」「がんばらなくてもいいんだよ」って言いながら、ニコニコ笑ってくれる祖母が大好きだ。ニコニコ笑ってダメな私を許してくれる祖母の優しさに触れるたび、私の擦り切れた心が少しずつ癒されていくのを感じる。

もちろん「ダメだよ、それは違うよ」っていう優しさも本当の優しさであることはわかってる。

でも社会人になって、ボロボロになって初めてわかった。

「自分がダメだ」ってわかってる時に「ダメだよ」って傷口に塩を塗り込まれる辛さを。

私は今、祖母みたいに「あなたは悪くないよ、そのままでいいんだよ」っていう言葉を傷ついた人にかけてあげる優しさを持ちたい。

そして傷が治りきるまで言葉をかけ続けられる辛抱強さと、治った後に「それはダメだよ」って言える愛を持って生きていきたいんだあ。


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