人生3倍楽しく生きている① 「普通」に触れた日

私は自分が大好きだ。
というより、「大好き」ってことにして自分を騙くらかしながら15年ぐらい生きている。

「大好き」ってことにし始めたのは中学生になった瞬間だった。
きっかけってほどのものはないが、小学生までの短い人生によるものだった。

挙動不審なリアクション、天性の声の高さ、ハンパじゃない運動神経の悪さからもたらされるきんちゃん走りによって「ぶりっこ」と呼ばれ続けた小学生時代。同級生5人しかいないくせに、常に(愛を持って)いじられ続けてきた。

かくれんぼすれば隠れられ続け、見つけられぬまま知らぬ間にゲーム終了。鬼ごっこしても足が遅すぎて「おまえ鬼やると面白くない」と一蹴。スマブラやってもマリカーやっても下手くそすぎて常に順番待ちしてニコニコしていた。
5人しかいないので、小さい小学校ながら委員会の仕事や学年の仕事が多く、気付いたら何かしら押しつけられていた。

だがしかし生まれながらのパシられ気質と長年のパシられ実績のおかげで、そんな生活を苦しくて仕方がないと思ったことはなく、私にあてがわれた役割だと自然に認識していた。友達のこともみんな大好きだった。

ちょっと理不尽だし、もっと上手く生きられたら良いなぁとは思うけれど、まぁ私ってこんなもんだし仕方ない。このままこんな風に大人になっていくんだろう、と思っていた矢先に大問題が発生する。

そう、「小学校閉校」だ。

当時6年生だった私は最後の卒業生になることが決まっていたし、それほど大きな影響は無かった。しかし弟も含めた後輩たちは、途中から違う小学校に行くことになる。
そのための予行演習として、月に一度隣の「町」の小学校との「交流会」というイベントが設けられることになった。

当時の私が町の小学校について知っている情報は「人数が多い」ということだけ。山の中に住んでいる私にとって、「町」はあまり縁がない。年に二度ほど「町」のじいちゃんに会いに行くのと、スーパーとコンビニに行くぐらいで、交差点の名前とか地区名とか何も知らなかった。
今考えると「町」と言いながらもただの田舎でしかないのだが、幼い私にとっては未知の場所だった。

緊張して緊張して迎えられた「交流会」初日。
まずわたしは私たちを歓迎する名目の全校集会に入場してくる子供たちの多さに酔い、目を回して保健室に行く羽目になった。
ゾロゾロゾロゾロと体育館に入ってくる顔たちを順番に眺めているだけで、あまりの人の多さに気持ちが悪くなったのだった。酷い田舎者である(大学の入学式でも酔った)。

さらに、一緒に学ぶ教室に入ったわたしを待ち受けていたのは同級生の女子たちからの質問攻めだった。

「嵐だと誰が好き??」
「このクラスの中で誰が1番かっこいいと思う??」

衝撃的だった。

そんな思春期の多感な女子にはありがちな話題は、小さな小学校ではあり得なかったのだ。
嵐全盛期ではあったものの、友達の中でアイドルが話題になることは無かったし、私は当時GACKTに心酔していたので嵐なんていう小童にはひとつも興味がなかった。好きなアーティストの話なんて同級生の間で出たことがなかった。

特に、「誰がかっこいい?」なんていう質問は青天の霹靂だった。5人しかいない同級生の中で、「誰が」という概念は存在しなかったからだ。好きな人はいたし、公言していたけれど、それは友達同士でキャッキャと盛り上がる話題ではなかった気がする。

(今思うと私たちは小学校の時どんな話をしていたのだろうか…?)

思えばその時わたしは初めて、「普通」のコミュニティに触れたのだった。
私が知らない「普通」の思春期の女の子たちの会話がキャーキャーと繰り広げられていく中で、感じたのは大きな大きな疎外感。

そして教室の端から聞こえてくる、

「あの子、走り方とか気持ち悪いよね」
「ぶりっこしてるよね」

…マズい。
このままでは中学校で友達出来ない。マズい。

同じ小学校の少し意地悪だった先輩から言われた、「あんた、そんなぶりっこしてると中学校で嫌われるよ」というフレーズが頭の中でこだまし続ける。

小さな小学校でさえも、友達たちの大きな愛情によって看過されていたが、浮き気味であったぶりっこな私が、この環境で生きていけるのだろうか…?普通の感覚を取り戻さなくてはならない!!!

ようやく私は事態の深刻さに気付き、どうにかしようと自分について改めて考えてみることにした。

声はもうどうしようもなかった。年がら年中高かった。キンキンキンキンやかましい。
走り方こそ本当にどうしようもなかった。悲しいぐらいにぶりっこきんちゃん走りだった。足も遅かった。

「交流会」によって「普通」の感覚を得た同級生たちもわたしのぶりっこに苦言を呈し始め、私はどんどんどんどん自分が嫌いになっていった。

どうすればいいのか、、、
どうしてこんなに気持ち悪い声と動きなのか、、、
(ちなみにこの頃までは自分カワイイなんて微塵も思っていなかった。そんな時代もあった)

おそらく根本的なぶりっこはこの短期間では変えることはできない。声も走り方もどうすることもできない。

そこで私はなぜそうしようと思ったのかは今では全く意味がわからないのだが、開き直ることにしてみた。

「かわいこぶりっこ」していると言われるなら、もう「かわいい」と公言すればいいのではないか?それはもう「ぶりっこ」ではなく、「かわいい」のではないか?

「自分かわいい」と公言する人間は、おそらく他人からは嘲笑される。しかし「自分かわいい」といい放つ人間は男の子から好かれることはないので嫉妬の対象にもならないのではないか???(ぶりっこ=男好き=嫌われる、という方程式があるのだと学んだ時期)と確信した。

わたしはただのぶりっこではおさまらない。

「中学校の入学式からは変わる!!!」と決意し、

中学校入学の日、私の長い長いぶりっこナルシストピエロ人生が幕を開けたのだった。



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