ミッツマングローブの反対
少し前に突然友達から「ミッツマングローブの反対は?」と聞かれた。
私は「ヨッツオチンチン軍手」と答えた。しかし答えた後で猛省した。「グローブの反対は軍手じゃないやろ、それはもう類義語やろ…そして漢字が途中で入ってしまうとかもう愚か者すぎるやろ、センス無い…」と。しかしその後別の知人からの回答を知り、さらに反省するのである。
『単品砂漠地獄』
私は何を言っているのか最初訳が分からなかった。どのへんが反対なんだ??砂漠????地獄????なんで全部漢字???
そして理解するのだ。
「『マングローブ』の反対を『砂漠』にしたのだ」と。目からウロコであった。私はなんの迷いもなく「マングローブ」を「マン+グローブ」と捉えた。そして「マンの反対はチンしかない!!!」と当たり前のように考えたのだ。しかし世の中には単に「マングローブ」と捉える人もいるのだ。よく考えたらそりゃそうだ。私は自分の汚れた心を呪った。
世の中は2種類の人間に大別されると思った。
『マングローブ』を「マン+グローブ」で捉える人
『マングローブ』を「マングローブ」とそのまま捉える人
すぐに何かあると下ネタを挟んじゃう思考回路の人と、ちゃんと言葉をその言葉のままで捉えられる人。私は間違いなく前者だ。胸を張って言える。もちろん分けたところでどうなるものでもない。下ネタが好きな奴かどうかを見分けられるだけだ。
私はいつもこういう二項対立(対立もしてないが)の図式を勝手に頭の中て作り上げてしまう。余談ではあるが、この考え方の根っこになるのは、大好きな映画「スウィングガールズ」のラストシーンだ。
高校生男子が主人公達の演奏を聞きながら、「全ての人間は2種類に分けられる。スウィングする者と、スウィングしない者だ」と言いながら立ち上がり拍手を送るのだ。私はそのシーンを見て非常に感銘を受けた。主人公達のように「スウィングする者」でありたいと願いながら育った。不格好でありながらもキラキラ輝く青春をおくりたいとおもった(まあ結局は『マングローブ』を「マン+グローブ」に分ける人間になってしまったのだが)。
スウィングガールズは大好きではあるが、まあなんでも2つに分けるのは良くない気がするし、「マンの反対はチン!!!」となんの迷いもなく思ってしまう時点で多様性の観点から言うと多分外れてしまっている。人間として未熟な証である。情けない。
そんなことを思いながら、私が尊敬してやまない言葉のセンスを持つ友人に「ミッツマングローブの反対は?」と尋ねた。友達は「よっつちくりん?」と答えた。
ちくりん…???私はひらがなで書かれているがために、なんの事だが最初は分からなかった。ちくりんとは何か尋ねると、
「マングローブの反対で竹林。でもちくび+にゅうりんのことかもしれないね笑」
頭を鈍器で殴られたような気分になった。ちくりん=竹林(マングローブの反対)であり、乳首+乳輪!!!!
そうか、「言葉を言葉のまま捉えること」と、「下ネタ」は共存できるのかとハッとさせられたのだ。やはりこいつは天才だと思ったし尊敬し直した。
もっと深みのある人間になりたいと改めて思った友達からの問いかけであった。こんなくだらないことを考えながら終わる休日が私は何よりもすきだ。
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