胡散臭い人間is私

私は胡散臭いものがほんとにほんとに昔っから大好きだ。

占いはもう大好き過ぎて中学の時は手相にはまり、高校の時はタロットを好み、今は西洋占星術を勉強してみているし、六星占術カレンダーを見てはその日一日の答え合わせをしてしまう。

オカルト小説も映画も、果てには陰謀論とかを調べるのも楽しい。イルミナティ、フリーメイソンは大好物だ。

小さい頃は「こたえてちょーだい!」という昼の生活情報ワイド・バラエティ番組で特集されていた夏休み怪談体験特集が1年の内の楽しみの1つだったし、「奇跡体験アンビリーバボー」のホラー特集回も大好きだった。ホラー映画を一人で見ることも、友達の前ではちょっと空気を読んで怖がったりもしてみるが実は大して怖くない。一人で全然家で見れてしまう。

最近は寂しいことにオカルトブームが過ぎ去ったのか怪談番組はほとんど消滅し、2ちゃんねるのオカルト板でも「洒落怖(洒落にならない怖い話)」の投稿数は一時期に比べ劇的に減り、名作が生み出されることもない。

思い返してみると、オカルトブームの衰退は2010年頃からのスマホの普及によるものだった気がする。

映像技術の発達により心霊映像の真偽が問われるようになり、手軽にポケットからインターネットの世界を広げられるようになったことで人々は物事を疑い、自分で「調べる」ことが容易なものとなった。

検索したらほとんどの事象についてものの数十秒で答えが出てきてしまう世界(どれが本当の答えかは置いておいて)となり、オカルト・怪奇現象と言った「どうして?なぜこんなことがおこるの?」という知的好奇心をくすぐるカテゴリーは人々の興味・関心を集めるものでは無くなってしまったのだろう。私としては寂しくて仕方ない。


溺れそうになるほどの情報量に塗れながら、他人の意見や考えにいとも簡単に触れながら、人々は(少なくとも私は)「自分」というものを見失いながら生きている気がする。

そんな中で「自分」を明確に形作る方法の一つとして、私は占いとかオカルトとか、形が見えないものに頼りきってしまう。検索しても出てきやしない「自分とは何か」って問の答えを探すために。

見失った「自分」を見つけるために、見えない何かに頼ってしまうのだ。

おかしな話だ。わかっている。

それでも私は胡散臭いものに頼って生きるしかできない、弱った人間だ。


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