再放送④終

2025年8月。
依頼があった介護カンファレンスが終わって帰宅。もう午後10時。夏とは言えあたりは真っ暗に。後輩にタクシーで送ってもらって家の前へ。タクシー代も奢ってもらえるって言うからそこは後輩といはいえ遠慮なく。代わりに、今度は食事でも奢ろうか、と先輩風をちゃんとふかしておく。
タクシーを見送って、家の中へ。
リビングでお茶を淹れて一息つく。旦那も娘ももう寝てしまったようだ。
そう言えば、今日は娘の課題でどこか二人で遠出するっていってたっけ。
私は、今日の分の1日日記を書こうと手帳を広げた。
結婚前から続けているものだ。その日にあったことを一行程度でまとめて書いておくのだ。学生の頃からやっていてすっかり習慣になってしまった。
さて、とペンを構えたその瞬間に。
「おかあちゃあん」
となんとも力無い声が聞こえた。振り向くと、そこには旦那が立っていた。
「生きる自信がなくなった」
旦那の言葉を聞いて、きょとんとしてしまった。慌てて記憶を巡らす。この人は何かと言葉が足りないので私の方で補ってやらないとコミュニケーションがままならない。えーとえーと。
今日は、旦那は娘と一緒に娘の課題をやりに行った。娘の課題は、周りの大人に話を聞いて、仕事に関するレポートをまとめることだった。今日行った先は確か旦那の友達の大館くんのトコだった。
「なんだ、あれか」
頑張って言葉を紡ぐ。
「大館くんのとこで、彼の農場を見てきたと」
「うん」
旦那が小さくうなづく。そこで私は全てを理解したので答え合わせにまた言葉を紡いでいく。
「思いのほか、農場は立派になってた。今日はバーベキューだったのよね。お客さんが大館くんの農場の関係者で、たくさんいた。濃密な人間関係仕事関係。あなたはそれで差をつけられたと感じたと。自分は何をやっているのだろうと」
「うん」
「先日は梶川くんのとこに行ったのよね。彼もまた成長していた、と。彼なりの仕事、生き方に見えたと。立派だったと」
そこまで言うと、やはり正解だったようだ。旦那はポロポロ泣き出した。
「おかあちゃん。ぼかあ、何をやっているんでしょうなあ」
いやいやいやいや。そう思うのがなんでお前なんだよ。まだ子供の晴子が、将来に不安を感じるのはまだわかるけど、子供だし。お前大人じゃん。
晴子が来るのはまだわかるけど。
なんでお前なんだよ、もう。
「あーあーあーあー」
私は言葉に窮した。
この旦那は結婚してから、いや、その前からずっとそうだ。自信ありげに振舞いながら、実は高いのはプライドだけで、文武はからきし。とにかく状況に対して突っ走るだけ。だから壁にぶち当たりっぱなしだったのだ。
旦那が今の会社に転職したのも家族のためだったが、早朝出勤は彼なりに過酷で、職場の人間関係も良くない。ただ、安定して昇給し、毎月の給料も未払いなくくれる。経営はちゃんとしてる企業だからと所属してくれている。
その稼ぎのおかげで、私は晴子をもうけられたし、今やってる介護関連のイベントにも出席できている。晴子の学費もなんとかやっていけている。家族のチャレンジは、旦那の稼ぎに支えられている。
「人には人のやり方があるし、あんたはあんたでやってきたでしょうが。」
「でもさでもさ、俺なんかさあ」
どんどん小さくなる旦那。
こんな旦那でも、家族が判断に迷うようなことがあってはいけないと、図書館で本を借りてきては読書をしている。最近は本屋でビジネス本にも手を出しているようだ。未来を切り開くのは常識ではなく正しい知識だ、と常々行っていた。しかし、その情報をもとに切り開いていくのはもっぱら私や晴子の役目であった。
「あんたには感謝してるよ。とにかく今日はもう寝なさい。明日も早いんでしょ」
「うん。もう3時間しかねれない」
「だったら寝なさいよ、ばか」
「うん」
すっかり意気消沈した旦那を抱きしめて、頭を撫でて布団に送り出す。なんでお前なんだ。その位置は晴子じゃないのか、もう。子供なんだから。
旦那の姿が消えて考えた。
そう言えば、最近は旦那も少し違ったな。
旦那は少し前から漫画を描き始めた。
自治会の広報誌の巻末に載せている、なんて名前だったかな。隣組の会合で何か会報誌に載せたいものがないかと公募があったのだ。他の会員は消極的だったので、旦那の意見が通りそのまま描いた漫画が載ることになった。
それもそろそろ最終回らしい。
私たちはさんざ挑戦させてもらった。
次はあなたの番かもしれないじゃないか。
最後のお茶を含むと、その時玄関のチャイムが鳴った。なんだなんだこんな時間に。急いで出ると、小学生が二人立っていた。
「こんな時間に危ないわね。どうしたの」
「あの、あたしたち、晴子、さんからあっちゃんと、みいって呼ばれてて、安藤と、三沢って言いますけど」
茶髪のショートカットと黒髪ロングヘアが対照的な二人。
茶髪の子が興奮気味に話し出した。
「これに載ってる漫画が好きなんですけど」
と自治会の広報誌を差し出す。
「2学期に入ったら文化発表会あるんですけど、できれば、おじさんの描いてるコレを人形劇にしていいですか?」
「なに、あんたたち好きなのそれ」
二人は縦に首を振った。
なんでも、晴子からこの漫画を教えてもらって、読んでるうちに二人でハマったらしい。
1学期のうちに学校の先生から文化発表会では自主的に何か題材を探してやってもいいと言われていた。何かしたいと思っていた二人は、この作品に目をつけ、でも許可を取るのに勇気がいた。二人の家族の用事が終わった今日、夜二人で電話していたらいてもたってもいられなくなり、こうして今日、こんな時間に現れたと言うのだ。
「別にいいわよ。好きにやんなさい。徹底的にね」
そういってウィンクして、もう遅いからと冷蔵庫にあったジュースを持たせて帰すことにした。
なんだ、旦那。
あんたのやってることは。
こうして、道を作りつつあるじゃあないか。
「あの」
帰っていく二人が立ち止まりこちらを向いて言った。
「最後、サブローくんどうするんですかね」
「好きにするわよ、あんたたちみたいに」

おしまい。








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