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ジュピターリターン

12年に一度のジュピターリターン

今年の夏以降仕事の内容が二転三転してあわただしい。
10年以上所属していた占いの会社とつい最近揉めてしまい「辞めます」と啖呵を切ったのもつかの間。
占いスクール講師の依頼があって、それが楽しくなってしまい「今後ともよろしくお願いします」と靴をなめるがごとく媚びを売って手のひら返しをしました。朝令暮改というか、一貫性のなさに我ながらあきれる始末。
とはいえ、仕事の内容について大幅に変化したので、これまでの閉塞感が無くなり、新しい目標が見えてきたのが手のひらを返した大きな理由です。

週末から数年ぶりにカフェで対面鑑定を再開することになりました。対面鑑定はブランクがあって、なんだか落ち着きません。
来週からは講座の2期生がスタート。来年からは占星術講座も担当させてもらえるので、準備することは盛りだくさん。何から手を付けていいのか、さっぱりです。
展開が早くて追いつきませんが、焦っても仕方ないから、後手になったとしても少しずつ形を整えていこうと思います。

占いのお仕事に誘われる

私が占い師を始めきっかけは、いま所属している会社の社長に誘われたからです。
彼女に出会ったのは26歳~27歳くらいのころ。病院を辞めたいと思っていて「仕事辞めたいけれどこの先どうしよう?何したらいいかな?」と悩んでいた時でした。雑誌に広告があった電話の占いを試した時に占いをしてくれたのが彼女でした。鈴が鳴るみたいに澄み渡る声をされていて、でも、どこか押しの強さがあり、柔と剛が共存する不思議な声をしていました。

当時の私は看護師の仕事に行き詰り自信を無くしていました。ほかの人みたいに業務を確実にこなせないことを気にしていました。
本当はもう少し患者さんと話をしたいのに上手くできなくて、忙しいと口調もきつくなるし優しくできません。検査や点滴投薬管理などタスクをこなすこと、タイムスケジュールを守ることで精一杯。何時まで経ってもやりたいことができませんでした。
気が付くと「私は一体ここで何をしているんだろう」「これが私のやりたかったことなの?」と漠然とした疑問がわいてきます。
いくら頑張っても手ごたえを感じられなくてすり減っていくこころと体力を感じていました。
「ずっとこのままなのかな?」って思って一旦病院で仕事をするのをやめました。
私はもともと父親と確執があり、家族の中に居場所がなくて家を飛び出した経緯があります。病院で仕事をすることでようやく社会の中に自分の居場所を確保できたのですが、看護師として仕事をしない私は、せっかく見つけた社会での居場所もなくなってしまいました。

仕事を辞めた後、再び彼女に「これからどうしたらいいか?」占ってもらいました。その時「良かったら一緒に占いのお仕事をしましょう」と誘ってもらいました。
この時の私は”優しい占い師さんだからリップサービスで誘ってくれているんだろうな?”くらいに話半分で聞いていました。
でも、後日、本当に連絡が来て直接会ってお話をすることになりました。
看護の仕事に行き詰っていたし、この先どうしたらいいのかわからなくなっていたので、アルバイトをしながら占いに挑戦してみよう!と思いました。
この頃の私は占いは好きでしたが、全くの素人で知識が全くありませんでした。だから、挑戦するにあたり独学でタロットを勉強しました。

その後、ときどき社長が連絡をしてくれてお話をしていました。これが彼女のスタイルなのですが、自分の近況などを話してくれる流れの中で「ちょっと占ってみて欲しい」と言ってリアルな例題を投げかけてきます。
この投げかけはスキルチェックなので、かなり緊張します。ふわっとした彼女の声が、この時は鋭いナイフみたいに鋭利な音に変わっています。うかつなことは言えません。
”試してきてるな”って思います。
こちらは占いを振られると思っていないから、全く無防備にお話を聞いています。だから、いきなり話を振られると焦るのですが、それでも、私なりのリーディングをしてたどたどしいながら答えをしていました。
彼女はつかみどころのない人ですが、面倒見が良くて、私のように扱いにくい人間を10年以上つかず離れずで面倒を見てくれました。


占星術を習うように誘ってくれた

私が占いを本格的に始めた頃、社長は占い会社の規模を拡張させる方向に尽力していました。そのためには「所属占い師を増やすこと、占い師の質を向上させること」が課題だったようです。
この時期、私は勉強のため知恵袋というyahooのサービスを使って無料鑑定をしていました。半年で250件くらい鑑定をしていたと思います。自己流ですが実践を積めるように取り組んでいました。
そんな時期、私にもいろいろ占いの勉強会や講座のお誘いがやってきました。当時、タロット占いと宿曜で占いをしていたので、手相と占星術の講座を受けることになりました。

この時手相を教えてくれたのは会社で一番実力がある先生で、人柄も良くて尊敬できる方でした。先生の客層を見ていると高齢の方、介護などで頑張って見える方、ハンディキャップを持っている方が多くて、そういう人たちとちゃんと目線があわせられる人柄だとわかります。
人の痛みを理解できる方なのだろう、とわかります。だから、先生から手相を教えてもらいたかったのです。
テクニック的なことはあまり覚えていませんが、先生からは占い師として一番大事なこと、人との向き合い方を教えて頂いたと思います。
これは看護師の時、忙しさのせいで忘れてしまった「私がやりたかったこと」でした。

占星術の講座は、当時、松村先生の講座を受講されてお勉強されていた方が講師をしてくれました。先生の先生が松村先生、、、わかりにくいかな?
だから、私の占星術のベース、ルーツは松村先生の占星術理論です。
占星術は覚えることが多いし、専門用語が多くて全くちんぷんかんぷんでした。でも、講座を重ねるごとにどんどん楽しくなってすっかり占星術沼にハマっていました。
講座が終わると、ステップアップをしたくなり、大阪の占いサロンへ参加するようになりました。そこで占星術好きの仲間とお話をして、時に交流会をして楽しい時間を過ごしていました。

ある時、仲間同士の交流イベントがありました。私の予想以上にたくさんの人が私のブースに並んでいました。そして時間が経つほど列が長くなり、終わりが見えなくなりました。
時間内に鑑定できないくらい順番待ちの人たちが長い列になっていて、収拾がつかなくなりました。
帰りの高速バスに遅れそうで焦っていると、これまで姉のように優しくしてくれた主催の先生が豹変。急に冷たい態度をとるようになりました。
帰り際、目も合わせず冷淡に「お疲れ様」とあいさつを交わしました。これ以降”お前はもう来るな”状態になりました。

このころから、占いカフェでも上位占い師に定着し、アルバイトをしなくても何とかやって行けるようになりました。

その翌年、2014年に念願だった松村先生のホロスコープ鑑定を受けることになり、より一層深い占星術と言う底なし沼にはまっていきました。

ブログを書くとお小遣いがもらえた

私が文章を書くようになったきっかけも、10年前に彼女が「ブログを書いたら1記事500円報酬出します!」と言ってくれたのがきっかけです。
お金に縁のない私は500円欲しさに毎日ブログを書いていました。テーマは自由でした。でも、これまで看護記録しか書いたことがなかったので悪戦苦闘の連続でした。
苦戦して書いても内容は本当に浅くて恥ずかしいくらい愚かなものばかりでした。それでもちゃんと500円支払ってくれました。
お金をもらえるだけでなく、毎日文章を書く習慣ができて本当にラッキーでした。
最初のころは1000文字程度の記事をまとめるだけで10時間以上かかっていました。何をどう書いていいのかわからなくて、Dynabookの前でず~っとにらめっこ状態、ほかの人のブログを参照したり、読み耽ったり、今とあまり変わらないかもしれません。

ただ、ここ数年はブログやHPの記事に関してソーシャルメディアクリエイティブとかリスティングとかややこしい条件が多くなってきたのでライティングはもういいな。って思っていました。
私が書きたい文章と会社が求める文章の乖離が生じていて、この溝を埋めるものが見当たりませんでした。だから、1~2年に1か月、長いと2~3か月くらい何も書きたくない、書くことが浮かばない時期がありました。
だから、心のどこかでライティングのお仕事が終了になることは「仕方がない」と思っていました。でも、ライティング報酬がないと、浪費家の私は子供たちを食わせてやれないし、夫がうるさい。どうしようかな?って思ってスーパーのレジ打ちをさせてもらおうかな?と思っていました。

とにかく夫がうるさいので面接にも行きました。でも、なんか違う、採用されても多分間に合わないだろうし、辞めちゃうだろうな。と思って帰宅していました。


占いスクールの講師に誘われた

ライティングの仕事のことでもめる前に、占いスクールの講師のお話をもらっていました。
実は4~5年前にも一度タロット占い講座を担当したことがありました。
10年くらい占いのお仕事をしていますが、基礎知識っていうより直感的な部分で、本当にちょっとした言葉と言葉の間みたいなところを見ているので、説明が難しいな。と思います。

タロット占いの講座をしたとき私なりに反省点が多かったので、それを生かせると良いな。と思っていました。
基本的にはテキストで基礎知識を拾うのですが、でも、知識はただの形式。言葉や文章にしたときから、大事な中身、魂の部分、感覚的な要素、感情とかエモーションみたいな部分が抜け落ち形骸化すると思います。
「仏作って魂入れず」という言葉がありますが、テキストだけだと、魂の入っていない仏なのだと思います。
ではどうやって魂を入れるの?ってなると思います。魂を入れる方法はさまざま、それこそ講師役、先生役の人が工夫する、生徒役の人たちと一緒に共同作業で創り上げるものだと思います。
魂を入れる作業はお互いの感情、感覚、思いを循環させることだと思います。混ざり合って溶け、一つに融合して、そこから新しい流れが生まれる、そんな循環を作ることが本当のお勉強だと思います。

いくら優れた知恵や知識があっても、そこに魂が通っていなければ単なる言葉の羅列なので、冷めきった言葉の数々が右から左に流れていくと思います。
魂のある知恵、命を伴う知識は仲間や相手、対象との交流がないと生まれないのでは?って思います。

寺山修司さんのおっしゃる通り、書を捨てて街へ出ること、青空桟敷、星空桟敷の下で行われる人との交流の中に学びの教室が用意されていると思います。
大事なことは当たり前に身近にあるけれど、当たり前すぎて見落としがちなんだと思います。私も見落としてばかりです。


一人の人と出会って人生が変わった

私は占い会社の社長と出会ったことでたくさんのチャンスをもらっています。
彼女がきっかけを作ってくれたから、占いを始めたし、占星術にも出会いました。文章を書くことも彼女が誘ってくれたこと。
そして、今回は占いスクールの講師というチャンスをもらいました。

こういう風に書くと、私が終始受け身で「全く自発的に行動をしていない」と思われるかもしれません。
そう思っていただいても構いません。ただ、ずっと緩めの自己研鑽は続けています。
占い師になる前は10年以上看護師をしてきましたから、粘り強い方だと思っています。時には円形脱毛症になり、不眠症になったりしながら、死にゆく人やその家族とかかわりながら生きることと死ぬことのリアルを勉強してきました。
言葉が悪いかもしれませんが、そこら辺のヒーラーさん、超感覚を持った自称巫女さん聖人さんたちとは下地が違います。
私の住んでいるところは田舎なので、本物の行者さんたちの修行場があります。本物は自分から巫女だとか聖人だとか軽々しく口にしません。あくまで一般人の振りをされています。
だから、そいう言ったことを自称されるほど自信のなさが際立って痛々しいからおやめになったほうが良いと思います。
形から入る、言葉から入るのは良いアプローチだと思いますが、中身が伴わないのなら空しいだけだと思います。

私は凡人ですが、十数年医療の現場を体験してきました。そこでは地球という星のいのちの法則、生老病死や愛別離苦、清も濁をたくさん見て体験してきたつもりです。
まだ不足だと思いますが、凡人なりに泥水の中につかり、もがきながらたたき上げでやってきたつもりです。そしてこれからも上に立つこともなく、下にへりくだることもなく、右や左にふらふらしながら中庸を目指し勉強を続けていくと思います。

私を占いの世界に誘ってくれた社長にはとても感謝しています。
今は会社が大きくなったので、忙しい彼女とお話をすることはほとんどありません。もともとたくさん話をする間柄ではありません、最近は人を介してやり取りをする程度です。
でも、占いがあったから、生きてこられたと思います。ツライことも乗り越えられた。松村先生に出会うこともできました。文章を書くことも勉強させてくれました。

占いに対する理想と客商売として現実のギャップがうまく受け止めきれず、何度も仕事をやめようと思ったことがあります。競争に勝つことに夢中になったり、豊かさや名声を求め暴走していた時もあります。

流産をしてどうしょうもなく落ち込んでいた時、占いの仕事に打ち込むことで喪失の痛み、悲しみを乗り越えられたと思います。好調と不調の差が激しく不安定な私を彼女はそっとしておいてくれました。
数年後、子供が生まれた時、喜んでくれてお祝いをしてくれました。彼女自身も流産を経験してつらい経験をしていて、不妊治療中だったのに、私の妊娠出産を自分のことのように喜んでくれました。
その後、子供の障害がわかり、塞ぎがちになって仕事が雑になっていた時も何も言わずそっとしておいてくれました。
最近、彼女もお母さんになったことを知って自分のこと以上に嬉しく思います。

私にとって彼女はとても大きな存在で、占いの世界へ案内をしてくれて、生きる術や占いの楽しさを教えてくれた恩人です。
だから、彼女にお返しをしたい。彼女や彼女が大事にしている占いカフェに、カフェに集まる人たちに何かお返しができたらいいな。
残りの人生をかけてできることをしていきたい。と思っています。

っていうことをジュピターリターンの振り返りとして、これからも占いに向き合っていこうと思います。