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竹取物語とサンカ

サンカと呼ばれる人たち

数年前から「サンカ」という言葉が気になっていました。
サンカ(山窩)は、日本にかつて存在したとされる放浪民の集団のことを現わすのだそうです。

wikiによるとサンカの人たちは定住することなく狩猟採集によって生活をしていたそうです。箕を生産することでも知られ、交易のために村々を訪れることもあったのだとか。
職業の区別もあり「ポン」と呼ばれるサンカは川漁、副業的な位置として竹細工などをしていたそうです。
また「ミナオシ」「テンバ」と呼ばれるサンカは箕、かたわらささら、箒の製造、行商、修繕を主な収入源としていたとされる。

参加の人たちは市井の人たちと価値観が違っていて私的所有権を理解していなかったため、村人からは物を盗んだ!とか、勝手に土地に侵入した!として批難されることも多かったのだとか。
拠点(天幕、急ごしらえの小屋、自然の洞窟、古代の墳遺跡、寺等の軒先など)を回遊し生活しており、人別帳や戸籍に登録されないことが多かったそうです。

なんとなく修験者的であり、流浪の民みたいな感じがして私はこのサンカの人たちに興味津々でした。

柳田國男さんはサンカの民について「古代難民説」を説いていたそうです。
サンカ(山人)は、原日本人(あるいは縄文人)であり、ヤマト政権により山間部に追いやられた異民族であるとする説です。

他にも「中世難民説」動乱の続いた室町時代(南北朝、戦国時代)の遊芸民、職能集団を源とする仮説。起源を比較的古くまで求めることが可能な言葉である「三家」、「三界」、「坂の者」などを根拠とする。喜田貞吉の研究が代表的である。語源を探る上で説得力を持つが、江戸時代末期の中国地方の文書にあらわれた「サンカ」との因果を検証することが困難である。や
「近世難民説」江戸時代末期の飢饉から明治維新の混乱までの間に、山間部に避難した人びとが多数を占めるであろうという考察。サンカに関する記述が、近世末になって、天保の大飢饉が最も苛酷であった中国地方で登場することから、沖浦和光が主張している。などがあり、サンカという人たちには謎がたくさんあります。


満月と竹取物語

今日は満月だったので、なんとなく竹取物語のことを考えていました。そのあとサンカの事を思い出したのでwikiで調べたら「箕、かたわらささら、箒の製造、行商、修繕を主な収入源としていた」という一文に目が留まりました。

箕(み)は、米などの穀物の選別の際に殻や塵を取り除くための容器のことを言います。不要な小片を吹き飛ばすことを主目的として作られる平坦なバスケット形状の選別用農具(農作業で使う手作業用具)である。機械式の用具と区別して手箕(てみ)とも言うそうで素材としては、世界で広く用いられている木の皮(経木。籐を含む)のほか、アジア東部など竹が主流なのだとか。
この箕(み)=「竹細工」が気になりました。日本では竹製が主流で縁起物としての熊手熊手とか箕などもここからきているのかな?と思いました。

竹取物語の翁”さかきの造”は野山で竹を採って竹細工を作り行商していたなぁ。と思いました。
そこで、学校間総合ネットさんから原文を一部引用させてもらいます。

いまは昔、竹取の翁といふもの有けり。 野山にまじりて竹を取りつゝ、よろづの事に使ひけり。
名をば、さかきの造(みやつこ)となむいひける。
その竹の中に、もと光る竹なむ一筋ありける。 あやしがりて寄りて見るに、筒の中光りたり。 それを見れば、三寸ばかりなる人いとうつくしうてゐたり。
翁いふやう、「我あさごと夕ごとに見る竹の中におはするにて、知りぬ。
子となり給べき人なめり」とて、手にうち入れて家へ持ちて来ぬ。 妻(め)の女にあづけて養はす。
うつくしき事かぎりなし。 いとをさなければ籠(こ)に入れて養(やしな)ふ。

学校間総合ネットさんより


竹取物語の翁ってひょっとしてサンカの人だったのかも?と思いました。
wikiで「箕」を調べると、サンカと箕宿の事が俗習としてまとめられています。

日本では、「サンカ」と呼ばれる人々が古代から近世までの長きにわたって山間部や里山近くに住まっていたといわれているが、このサンカは、箕作りを始めとする箕にまつわる労働を生業にしていたと俗説されているそうです。


箕宿について

箕宿は中国天文学における二十八宿の一つのこと、ここでの「箕」は「かごとしての箕」のことです。

「箕」と「箕宿」はなんとなく関係がありそうです。
箕宿(きしゅく・みぼし)は二十八宿の一つで東方青龍七宿の第七宿。距星はいて座γ星なのだそうです。
星官(星座)としての箕は、いて座のγ、δ、ε、ηの4つの星から構成されるのだとか。

もしかしたら竹取物語の翁はサンカの人で、箕宿とか射手座に関連するまたは、射手座にルーツを持つ人たちなのかもしれません。ちょっと面白い。
っていうか、今日はいて座の満月だから「箕」と「箕宿」が気になったのかな?


竹取物語とアバ・チベット族「斑竹姑娘」

竹取物語に似た日本国外の民間伝承としては、例えば中華人民共和国四川省のアバ・チベット族に伝わる「斑竹姑娘」(はんちくこじょう)という物語があるのだそうです。

田海燕が自身の編著である『金玉鳳凰』という民話集に収録して初めて公表した物語で、田によると四川省のアバ・チベット族に伝わる民話を1954年に採集したものといわれています。
粗筋が日本の昔話である『竹取物語』に酷似しているためにその原話と目されて注目を集めたのですが、現伝『竹取物語』(平安時代における改編を蒙っている)に似過ぎている点に疑いがあり、また類話を含めて分布が一切認められない点、採集者の民話には忠実な採録より創作性が顕著である点から、原話ではなく逆に『竹取物語』を翻案したものと見られているのだとか。


竹取物語と大乗経典「月上女経」

幸田露伴は大乗経典「月上女経」と「竹取物語」の類似性について詳しく述べられたそうです。
両者の類似点として、「主人公の成長の異常な速さ」「主人公の光り輝く属性とそれに由来した名」「屋内が光に満ちた事」などなど様々な類似点があげられるのだとか。

石井公成教授はかぐや姫のことを以下のように語って見えます。

光輝く姿で生まれ、男たちの求婚を断る「月上女」は、「月の上の女」、つまり月にいる美女ではなく、「月の光より上の(月光より勝る)輝かしい娘」です。