アートは主観でいい。評価は自分がする
行ってきました。「重要文化財の秘密」。
はじめての国立近代美術館。
東京メトロ東西線・竹橋駅から徒歩3分ほどで、皇居が目の前。
目的は企画展の「重要文化財の秘密」。
明治以降の作品のうち、重要文化財に指定された作品に限定した豪華が展覧会です。
へー。去年上野でやっていた「国宝展」のあれよりは格下なポジションなのか。ほうほう。(にわか)
また、せっかくなので、同時に行われていた企画展「所蔵作品展 MOMATコレクション」にも足を運びました。
近代洋画として未来を拓いた
さてさっそく作品に入りましょう。
いろんな意味でいちばんの衝撃だった作品はこちら。
萬鉄五郎作「裸体美人」
\じゃーん/
黒々しい鼻のあな。
脇から出る黒い毛。
あらあらしい輪郭線。
ずいぶんと挑発的な感じ。
音声ガイドによると、これは1912年の東京美術学校(現東京藝術大学)時代の卒業制作。19人中16位と、酷評(後ろの3人に失礼だよね感)だった作品だそうです。・・・そんなんでも、時を経て、重要文化財になるんだね。(2000年に指定されたみたい)
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なんで?
てことでググってみました。
雑に要約すると、独自に新たな時代を開拓した一歩だった、てことっぽい。
誰が決めるのさ
けどさー。
独自に新たな時代を開拓した一歩な作品なんて星の数ほどありそうじゃないですか?
なかなかに運ゲー感がつよい。
制作当初は酷評で、問題作と称されても、時を経て「重要文化財」になるんだよね。
問題作と決めたのも、重要文化財に決めたのも、結局誰かが何らかのタグをつけたものでしかない。なんか、アホラシ・・・って感想を抱いてしまいました。
とか斜に構えた感想を述べつつもね・・・
ちゃんと引っ張られる
結局、誰かが評価した作品ばかりに目が行くんですよ。きっと、企画者や評価者はアート作品への補助線を引いたつもりなんだろうけど、わたしにとっては主線になっちゃってるんだ。
企画展のポスターに使われてたってだけで、写真を撮らずにはいられなくなってるようにね。
アートは主観でいいの。
「重要」という太鼓判を押された作品だって、結局はどこかの誰かの主観的評価でしかない。
なんで評価者はそう判断したのか、その理由について深ぼれば面白いけど、結局は主観的なものなのではたけばいくらでもホコリが立つ。
そこにケチをつけるんじゃなくて、\それでいいのだ/精神で、自分自身がアート作品を鑑賞する際に、他人の評価や評判に左右されず、自分の目で見て感じることが重要なんだよねってことです。じぶんの感性を呼び戻そうぜ。
以下、わたしの感性に刺さった作品たち。
以上!企画展「重要文化財の秘密」に行って考えたこと・感じたことでした。
おしまい
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