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『ピース降る』のあとがきのあとがきという戯言

 2017年5月、田丸まひる、として『ピース降る』という歌集を出す機会にめぐまれた。思いはすべて短歌とあとがきにこめたけれど、今回、短歌だけじゃなく、収録したなかでいちばん新しい作品であるあとがきを好きだと言ってくれたひとが多くて、本当にうれしい。あとがきはあとがきという、作品だ。少しだけ、あとがきのあとがきを書こうと思う。
 たとえばTwitterのエゴサーチが精神的にいいもの(自分にも、つぶやいているひとにも)だとは思っていないけれど、『ピース降る』については一日一回はエゴサをしている。どんな風に読んでいただいたか気になる、というよりも、お金を払って本を手に入れてくれた、時間をつかって読んでくれた、さらに時間と労力をつかって本を手に入れたことや感想をわざわざ書いてくれたことへの、感謝と尊敬の念による。うっとうしいかもしれない、とは思う。うっとうしいかもしれないけど、票数は愛というか、ツイートやレビューやブログ、手紙(はできるだけお返事を書いています)は愛だと思っているので、愛を返そうと思ったらこんなかたちになった。ゆるしてください。
 「あとがき」でふれた「大森靖子の京都旅行」で涙が出たという曲は大森靖子さんのアルバム「kitixxxgaia」のガイア盤に収録されている「M」で、「かっこよくなんか生きなくていいよって言う権利が欲しくて」とか「人生を少しくれたら私の愛は全部あげる」とかの歌詞と歌唱に、何度聴いてもこころがびりびりと破られるようで、それでいて、いつの間にか救われているようだ。『ピース降る』が出てから、この曲のモデルになっている女の子に、短い手紙と本を送った。わたしはその子のブログを読むのが好きで、それは例えばぎりぎりを見せてくれるから、とか、裸で戦っているから、とかではなくて、いつもだれかと正面から向き合っているからだと思う。目の前の相手にも、見えない相手にも、自分自身にも。わたしも、わたしの歌を、真正面から描くものにしたい。
 帯文を書いてくださったヒロネちゃんとの出会いは、大森さんのツアーでオープニングアクトをしていた動画を見たのがきかっけで、その動画のヒロネちゃんは自分の世界であるむらさきの小さな花を育てているようで、かわいくて、かっこよかった。去年、ヒロネちゃんのライブに行くことができて、声がきれいな光線だと思った。じわりと胸を刺す光線だ。そして、見る見るうちにむらさきの小さな花は大きく、数も増えて花束のようになって、でもそれは、なんとなく増えた花じゃなくて、ヒロネちゃんが音楽という世界に向き合って必死に育てた花だと、音楽のことには詳しくないのだけど思っている。ヒロネちゃんが見せてくれる世界と、それが好きなひとたちの世界と、みんなの世界の花をせーので見せ合いたい。たぶんすごく楽しい。
 『ピース降る』では、『硝子のボレット』の時の、自意識にじゃりじゃりと硝子の破片を撃ち込むような歌い方はやめて、もっと自然体で(自然体って、ちょっと滑稽だと思うけど、ぎりぎりの気持ちではなく自分との距離をとって)生身の自分を、それが事実かどうかじゃなくて、感性や感情の真実を描きたいと思っていた。歌集をひとつつくるごとに、それまでのわたしは卒業していると思っている。それまでの汚いわたしもかわいいわたしも温度を保ったまま凍結保存して、ボレットでやりたかったことはボレットでやりつくしたから、今はこれがわたしだと思う。でも、その分だけ、きらきらしていない、少女めいていない、もう傷つきやすくない生身を見せるのは怖いと思っていた。感性や感情のそのままが、読んでいて楽しいと思えなかった。だから、この歌集がいちばん好き、と言ってくださるひとがいることが、本当にうれしかった。
 暮らしのことや仕事のことを描いたなかで、いちばんむき出しだと自分で思っているのは「あすを生きるための歌」と「詩は祈り、祈りのように」で、同じ女の子のことを書き留めた。これは詩じゃなくて、かっこよくない祈りだと思っている。何も美化するわけにはいかなかった。そして、何もなかったことにはできなかった。でも、作品なんてかたちにしてしまったのは、わたしのエゴかもしれないとずっと思っている。わたしは診療における距離感が近いタイプの精神科医だという自覚があって、そのことには冷静にむきあって仕事をしているつもりだけど、こんなことをしてはいけないのかもしれないと思う。でも、書かないと明日がこないと思っていた。まだ、どうしたらよかったのかの結論は出ない。
 「目覚めたらそこにいてほしかった」から「grief work」までは、自分の身体に向き合ったことや生活のことを歌というかたちにするとしたら、という試みを行った。すべてが本当じゃなくても、ほんとうを歌いたいと思った。身体の一部が機能していないことや、それに付随する子どもをもつことなどに対する思い、失った様々のことなど、真正面から向き合って、最後の連作のタイトルがこうなったのは、わたしには必要な過程だったのかもしれない。
 今回、収録した作品についてはすべて自由にさせていただいて、こんな並びは変かもしれないと思うところもあったけど、こころの納得のいくかたちにしたらこうなった。ページ数はできるだけ削って、本の販売価格を下げて、若いひとでも買いやすくしてくださいとお願いした。その過程で削ろうと思った「きみの花冷え」をなんとか収録できてよかった。ユニヴェールシリーズの他の本より小さくすることも提案していただいて、ありがたかった。夜舟さんを紹介していただき、いくつもの絵を見せていただいたなかでも「脱衣」という絵に一目ぼれして、装画としてお迎えすることができた。脱ぐことは性的なアピールではなく、ただあるがままを提示する行為だ。うつくしい歌集になって、本当にうれしく、いろいろな出会いや皆様に貸していただいた力をありがたく思っている。
 こんなだらだらした文章におつきあいいただき、ありがとうございます。『ピース降る』を読んでくださったあなたが大好きです。たまたまここに来てくださったあなたも、大好きです。もしよかったら、お近くの書店やネット書店でお買い求めいただけると幸いです。『しんくわ』出版のお手伝いをしてからそのままの勢いで休むことなく進んできましたが、この歌集を出すことができて、ようやく一息つけそうです。のんびりいきましょう。わたしは最近小麦粉になりたいです。サンリオキャラクターのこぎゅみん(小麦粉の精)にはまったせいです。風に吹かれてふわーっと散って、あぁ……ってなったら楽しそうだという想像が止まりません。明日も一緒に、できればちょっと、笑っていきましょう。

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