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震災から9年、今思うこと。

今日はどちらかというとタマリバのことではなく、岩切の個人的な話になります。今日で東日本大震災から丸9年。月日が流れていくのはあっという間です。

毎年、この日に思うこと。思い出すこと。それはあの日に強く感じた想いです。

今、私に何ができるか。

9年前、20代後半だった私はそのことをとても考えました。

忘れもしません、あの日、あの時間、仕事中に立ち寄ったお客様との打ち合わせのために訪れたカフェのテレビで速報が流れ、ビルが崩れていったり、空港の液状化の映像だったり、都心の交通網がマヒしたという話だったり…

何が起こったのかイマイチ理解ができなかった。それが本音です。

だって鹿児島は揺れてなかったから。

でもそこからどんどんそれが現実として突き付けられました。関東にいる友達や親せきに連絡してもつながらない。テレビは全局で震災のことを永遠に放送している。これは現実だ、と。

私も大学生の時、弟と暮らしていた福岡で、東日本大震災ほどではないけれど、福岡西方沖地震(震度6弱)に合ったことがあります。

それがとても怖かった記憶があって。その時家にいた私は、当時のブラウン管のテレビが落ちてきてぶつかって痛かったことや、楽しみにしていたイベントが中止になったと連絡があったけど、あきらめきれなくて地下鉄に乗ろうとしたけど地下鉄が停まっていた恐怖、バイト先の焼酎瓶が全部割れて、その片付けをするときのとても淋しい気持ち、そんなことを思い出しました。

それがもっとひどい形で今起こっている。それに気が付いたときに私ができることがなんだろう!を考え始めました。

そしてとりあえず募金だ!!と思ったけど、地震直後の鹿児島ではまだ募金を募る仕組みが整っていませんでした。というか日本全体が混乱して、何も整ってなかったんじゃないかと思います。

何かしなきゃ、何ができる、募金ができる仕組みを作りたいそんなことを考えて、それを相棒が形にしてくれてはじめたのが

こころのえてがみプロジェクト

ただ募金してもらうだけだと募金した側に何も残らない、何か手元に残ったほうがこの震災に対して自分でも何かやってみよう、というきっかけになるんじゃないか、と考えて、鹿児島や鹿児島にゆかりのあるデザイナーやフォトグラファーに協力してもらい、作品をポストカードにして売ることにしました。そして集まった義援金を寄付する。

これが具体的に動き始めたのは3日後の14日だったように記憶しています。


なぜ今、このことを振り返ったのかというと、今日が3月11日だからということはもちろんなのですが。

今、このコロナウイルスの影響で、また私たちは出会ったことの状況になり、不安になり、たくさん物を買ったり、必要以上に外出を控えたり、不況までの一直線を進もうとしています。

そんな時だからこそ気付いてほしい。

自分にできることは何か?

そしてそれをしっかりやること。

私が震災の時、こころのえてがみプロジェクトを実行してわかったこと。それは

動いてみると協力してくれる人がたくさんいること。

想い(意思)があれば必ず形になること。

こんな時だからこそ、自分ができることを意思をもってやり通すことが必要なんじゃないかと改めて感じています。


今はもう、こころのえてがみプロジェクトとしては活動していませんが、インターネットで検索すると意外にもまだヒットします。それはその時協力してくださった方々が残してくれている記録です。

あの時、私の想いを形にしてくれた相棒(相棒は現地にも実際行ってくれた)と、作品を提供してくださった方々、印刷に協力いただいた印刷会社、テレビで取り上げてくれたテレビ局の方、各種イベントに呼んでくださった方、お店に置かせてくださった方、知恵をくれた方、家族。そしてこころのえてがみを手にして、寄付していただいた方々。

今改めて、みなさんに心から感謝を述べたいです。ありがとうございます。

そして震災から9年経ちましたが、あの時とは違う、今の私にできることを日々実行していこうと思います。

それが巡り巡って復興支援につながることを祈って。

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