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甘酸っぱい四方山話 #まいにち土鍋

いまの住居と工房を離れるにあたり、寂しいのは23年間ともに仲良く暮らしてきたご近所のご家族と離れること。

さまざまな時代の波をを並走してきたし、コッチョリーノ22年間ほぼ全展覧会のご出席者さまでもある。土鍋はもちろんヴィンテージコッチョリーノやランプまであらゆるコッチョリーノアイテムをコレクションしてくださっており、食事はコッチョリーノづくしで出してくださる。コッチョリーノはすぐそこの窯で生まれて、一度よそゆき顔になって出ていき、また同じ敷地内に帰ってきていたというわけだ。


子どもたちは、庭のプールで一緒に遊んだ。
おとなたちは、年に数回、行ったり来たりで食事会をした。みんなでつぶれたこともあるし、いろいろなものを食べて、話題は豊富で四方山話は尽きなかった。同じ環境に住むということは、四方の山を共有していたということで、ものすごく豊かだった、心が。

送り盆もおわったころだが、最近他界されたお母様の思い出話で盛り上がった。写真の横には、なんと嬉しいのだろうお母様が愛用くださっていたランプコッチョリーノが鎮座。旅立たれたかたの心に、一粒でも何か残すことができたかしら。



縁もたけなわ。贈り物をいただいた。
2011年のヴィンテージワイン。

大きく揺れたあの日、余震が何度も起こるなか、ご子息が学童から帰ってくるのを、我が家の扉を全開にして待っていた。警告と津波のニュースを見ながら、耳と神経を集中させて。ご両親はお仕事で留守なわけで、ひとり鍵を開けて入り親の帰りを待つ不安を思って、なにかできないかと思った。

案の定、集団下校はマンションの入り口までだったので、一緒に家の前まで行って、玄関の解錠を一緒に見守った。ランドセルを置いて、鍵を閉め、大きな字で「ここにいます」と我が家の名前を電話番号を書いた紙を貼る。

我が家で、うちの少年とご近所の少年に、地震の経過を話した。怖がらせないよう、しかし、できるだけ本当のことを伝えた。大人になったとき事実として覚えていて欲しかったから。何が必要で何が不足なのか、小学生たちと冷静に話した。

夜になっても、ご両親の携帯電話は繋がらなかった。そこに先述したお母様がピンポンと我が家のベルを鳴らしてくださった。気丈でいつも着飾り美しいお母様だったけれど、泣き崩れるように「ああ、よかったです」と孫の手をひいて帰られた。そのころ、三陸海岸にあるお母様のご実家には津波が襲い、ご親戚は首まで水に浸かり助けを求められていたと後から知った。



子どもたちは成人して、わたしたち大人はステージを変えてゆく。この地での工房件住宅はもうすぐ終焉。

このワインは、晴れて次のステージで飲もうと約束をした。


8月19日(日)
盛る「ミニ土鍋コッチョリーノ1合炊きサイズ」
桃とネクタリンの交配種「ワッサー」
土鍋を冷蔵庫や冷凍庫で冷やしてから果物を入れるときゅんと冷えますよ!


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