見出し画像

私がフリーランスになった訳

こんにちは😃

更新頻度は決して高くない 玉ねぎです

でも!初めての更新です😎よ


さて、今日は前回の記事で書きました

自分のやりたい事について…と!その前に

私が何故、フリーランスになったのかお話ししますね 

ちょっと引っ張ります😁


画像1


「それ」になる可能性は誰にでもある


ものすごーく端折って、結論からいうと

ちょっと厄介なパニック障害になりました

そのせいで電車に乗れなくなってしまい、私の生活は一変する事になります

確かにサロンでは忙しくストレスもありましたが、なんでそうなった!?のか訳がわからず

それこそパニック!

私って実は繊細だったのね…という自分の新しい発見とその反面、はっきりモノは言えるけどね?ちょっと強め?の私

そのギャップは医者ではない素人には理解出来なかったと思います。それ故に苦労もありましたが…


しかしなったものは仕方ない。息子達を養うため

仕事はしなくてはならないので

体調に気を使いつつ、やり過ごしていました


聞きたくなかったその言葉


店長に科せられた任務の一つである

毎月1回の定例店長会議はコンサルを交えてするんですが、その会議はコンサル会社の施設で行うことになっていて、電車に乗れない私はお休みをさせてもらい、後でその資料からレポートを出す事になっていました


ある日、他店の店長から連絡がありました

その会議の件と併せて

何を思ったのか彼はこう言いました。

社長がさ、玉ねぎさんの事をね

「もうあいつは使えないな」とか言ってたんだよ

でも俺はね、せっかく店長になれたんだから

体調には気をつけてさ、会議は行こうよって思うんだよね。


…もう、頭の中まっしろ

いや、だから事情は話したよね

それより、え?使えないってどういう事?

体調が悪いと連絡し、診断書を出したり

店長の職も辞退したいと相談したら

無理するな、ゆっくりやればいいよと

社長にあんな優しい言葉をもらったのは一体、何だったのか…

これが長く勤めた店を辞めるキッカケになるとは悲しすぎました

もう無理だ!限界だ!明日辞めてやる!と息巻いて、全く周りの事など考えてなかったかも知れない

つもりに積もったものがあったのは事実だった

その時の自分に「アホか!もう少し冷静になれよ」と言いたいくらいの感情丸出しの状態でした

出来れば聞きたくなかった



私の1番の理解者は息子だった


家庭のことを相談する相手は、息子達しかいないので報告を兼ねて相談する事にしました

ずっと体調悪くて休みがちだし、お客様にもスタッフみんなにも迷惑もかけてるから一旦、仕事辞めようと思うんだけど…

出来るだけそうならないようには努力するけど、ちょっと貧乏になるかも?今までのようにはいかないかもしれないと話しました

話を聞いている息子達の反応が不安でしたが

思いがけない言葉が返ってきた


「今まで頑張ったからさ。休んだらいいよ」

「お母さんがそれで良いなら好きにしていいよ」

そう言ってくれた息子達の成長は、ほんとに嬉しくて

ここだけの話ですけど

ほんとに内緒なんですけどね。 

嬉しくて泣きました😎


息子に話してスッキリした事で冷静になるも

しかし、やめる意思は変わらず

翌日、退職届を提出。色々引き止めはされましたし、言ったことは認め謝罪もありましたが

長く勤めながら築き上げたものがあったと思われる信頼関係は、何の迷いもなく一瞬で吹き飛びました 

とにかく辞めるの一択。一身上の都合で押し通しました 

担当したお客様へ感謝の葉書を書き

スタッフへ引継ぎもして翌月に円満退職

*今でもその時のスタッフとは仲良くしてますが、そのサロンはもうありません


新たな働き方への第一歩

辞めた後、久しぶりにゆっくりした日々を過ごして症状も出にくくなり、短時間なら出歩ける様にもなって来た頃

元々、じっとしているのが苦手な私

家にいる事にストレスを感じ始めた

その絶妙なタイミングで、友人から教えてもらった情報がフリーランスという働き方。

40歳間近でフリーランスって!?大丈夫?

一抹の不安は過ぎるけど、以前の様に働くのは抵抗があるから考えるより、まず話聞いてみるしかないなと友人に紹介してもらい、話を聞く事になりました


やっぱり美容の仕事がやりたい


履歴書は持参せず、その場で記入する方式で

簡単な経歴と出来る技術内容を書き

いきなりその場でワンレンブローと夜会巻きのテスト受けました

いきなりだったので驚きましたが、合格です💮

画像2

こうしてフリーランスとして

働く事になったのでした


続く











この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?