オタマジャクシ


中学三年生。
もう何年前なのかすぐにはでてきませんが、中学三年生の時に私は貴重な経験をしました。

今日は、そんな経験を紡ぎ合わせた文章をご覧頂ければと思います。


中学時代の私はテニス部に所属しており土日は他校に練習試合をしに行くほど活発な部活動に所属しておりました。
練習試合も終わり、部内の友達と他校の探索を行っておりました所、小さな池を見つけてそこにはたくさんのオタマジャクシがいました。
私は、そのオタマジャクシがとても可愛く見えて何匹か連れて帰ることにしました。
その時手にしていた、アクエリアスを飲み干しペットボトルの中に池の水と一緒に10匹ほどオタマジャクシを連れて帰りました。

当時、私は教室で窓際の席におりましたので、窓との間に物がおけるスペースがありました。
私はそこで毎日オタマジャクシを見ながら授業を受ければ癒されそうな気がしました。

翌日、自転車のかごにオタマジャクシのいるペットボトルを乗せて学校に登校しました。
教室に入ると私はクラスの注目の的です。
みんな、ペットボトルに入ってるオタマジャクシに興味津々なのです。
私はなんだか主役になったみたいで、少し照れながら恥ずかしながらも、どこか誇らしい気持ちでいっぱいでした。

※今考えると、女子がペットボトルにオタマジャクシを入れて学校に来たと思うとちょっと気持ち悪いような気もしますが(^_^;)

そして担任の大峰先生も私のオタマジャクシを歓迎してくれました。
生き物を育てるのはとてもいいことだ、と。
大峰先生は男子テニス部の顧問で、とても情熱にあふれ厳しくも優しい、とて良い先生で大好きでした。

私は、絶対にこのオタマジャクシがカエルに変体するまで傍に居て見守ろうと心に決めました。
ペットを飼ったことのない私は、初めてできた自分の家族のようでまるで自分の子供ができたかのうな母性本能と責任、共にワクワクした、なんともいいしれない幸福感に満ち溢れておりました。

それからの学校生活は夢のような毎日でした。

餌は給食のご飯粒やパンを与えました。
水道水はカルキが入っているので良くないと思い、実家は霧島裂罅水を汲みに行っておりましたので、水がとても大事だと思ったので、その水で育てておりました。

無題

ある日、学校にやってくると何匹かに可愛い小さな足が生えております。
順調に育っていたのです。
私は確信しました。オタマジャクシを正しく育てられている、と。

ですが、学校にオタマジャクシを連れてきて二週間ほど経ったころ、異変という悲劇が私を襲いました。

土日があったため二日ぶりに、オタマジャクシがいるペットボトルを見ると、全員死んでいました。
何が起こっているか分からない中、朝礼が始まります。
朝礼が終わり、心があまりにも苦しいため担任の大峰先生に相談します。

私「先生、私のオタマジャクシが今朝すべて死んでいました。なにか間違ってたんでしょうか。」
大峰先生「...。
すまない先生が水を換えたからかもしれない。新しい方がいいだろうと思って先週、水道水で水を換えたんだ。」

私はたまらず、泣いてしまいました。

もちろん、今思えば要因はもしかしたら他にもあったのだろうと思います。
酸素が足りてなかったりなど。
それでも中学生の未熟な私に、そんなことを仮定して想像することはできませんでした。
私のオタマジャクシをこの男が殺した。
あんなに大切だったオタマジャクシを、殺された。
良かれと思って先生は水を換えたのかもしれないが、私のオタマジャクシを殺したのに変わりはないのです。

私「先生が水を換えなかったら死ななかったのに」
私は思わず先生に向かって嫌な言葉を言ってしまった。

その時の先生の顔が今でも忘れられません。
あの、悲しそうで申し訳なさそうな顔。
私はしまった、と思いました。頭ではわかっているのです。先生は殺そうと思って水を換えたわけではないということ。
でも言葉はナイフです。私は先生をナイフで傷つけてしまいました。

そして時は流れ、卒業式を迎えます。

体育館での卒業式が終わった後、教室で生徒が一人ずつスピーチをする時間が設けられました。

友達や親、先生、将来の自分に向けてスピーチが行われる中、私はここだ!と思いました。
今ここで大峰先生に吐いた酷い言葉を謝りたいと思いました。

次々とスピーチが行われてゆき、私の番がきました。
私は、あの時の話をしました。

私「私は、先生に謝りたいことがあります。それはオタマジャクシを育てていた時の事です。
先生は良かれと思って水を換えてくれたと分かっていながら、先生のせいでオタマジャクシが死んでしまったと酷い事を言ってしまいました。あの時は酷い事を言ってすみませんでした。」

______大峰、漢泣き

先生はぐしゃぐしゃの顔で、俺も悪かったと謝ってくれました。
その時、やっと私と先生は、罪悪感から解放されたのです。


オタマジャクシは、私に色々なことを教えてくれました。

愛おしさ、生命のすばらしさ、育てる責任感、そして死。

その中で自分は、ちゃんと先生に謝れてよかったと思います。

謝ることが出来たのは、オタマジャクシが私に色んな事を教えてくれたからです。

私の心にはいつもオタマジャクシがいます。

皆さんの心には、いつも何がいますか?


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