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【百線一抄】067■「有限無限」が息づくまちをゆく―宇部線

背景を探ることで、現状からは窺い知れない来歴を知ることができ
るまちがある。とりわけ移り変わりの波が大きかったところは、そ
の発展と変化を見出すことは簡単ではないが、時流の荒波とともに
装いを変えてきたものにまなざしを向けると気づきが得られる。こ
の好例といえるのが山口県を走る電化ローカル線、宇部線である。

雄藩の一つと名を馳せる長州藩が船木で採取していた石炭。これが
明治期に入るとともに生産拡大への道を歩み始める。地域主力メン
バーによる組合設立を端緒に炭鉱の開削が進められ、大正期には村
から一挙に市へ昇格するほどの発展を遂げた。坑口の移動とともに
臨海部の開発も進み、炭鉱跡地には工場群が続々建設されるように
なる。炭鉱の生成物はもとより、炭鉱や工場の労働者の移動に関わ
る鉄道路線の敷設が進むのは、当時の情勢としては必然であった。

大正初期の開業ながら、宇部新川―宇部の免許下付から開通に至る
までの期間は短い部類に入る。さきに開通した山陽鉄道は内陸を貫
く路線であり、既に産炭地として発展していた地域との直結は、さ
らなる成長を引き寄せた。宇部新川から小郡まで東進し現在の原型
に近づいたのは大正末期、10数年で全線開業にこぎつけている。

開通までの過程を異にする近隣路線を戦時中に一括で買収した国は
非効率な運用を強いられていた線路群の配置を大胆に見直し、さら
なる利便の向上を目指した改良計画も立ち上げた。他方、世間では
奇しくも石炭から石油への移行がエネルギー革命として脈動し始め
た。炭鉱は閉山となり、残った工場は業態変更と多角化に舵を切っ
た。産業構造や企業の業態が変化すれば、生産物や通勤客が減少に
向かうことは必然であり、21世紀初頭に貨物輸送も終了となる。

長年の変化から取り残されたように見える。一方で思い切った踏み
込みを検討したこともある。それでも朝夕の賑わいをみるに、その
存在意義は未知なる潜在力を蔵しているように感じる。まちの発展
をエネルギー転換期に「共存同栄」「有限から無限へ」と腰を据え
進化させ続けてきた沿線地域だからこそ、単なるローカル線を大化
けさせる力があるはずだ。宇部線の草江駅は山口宇部空港との徒歩
連絡が可能で、東京と山口を直結する隠れた結節点でもあるのだ。

それでは次回の投稿まで、ごきげんよう。

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