ウンバボ名人伝①
ブートキャンプを終えたばかりのトウキョウに住む玉虫という男が、天下一のWoTのユニカムになろうと志を立てた。己の師と頼むべき人物を物色するに、当今WoTをプレイヤーとしては、名手・はっちーびーに及ぶ者があろうとは思われぬ。1㎞を隔ててKV-1の弱点を撃ち抜くこと百発百中するという達人だそうである。玉虫は遥々はっちーびーをたずねてその門に入った。
はっちーびーは新入の門人に、まず水没せざることを学べと命じた。玉虫は家に帰り、妻の水槽の底に潜もぐり込こんで、そこに仰向けにひっくり返った。顔とすれすれに魚が忙しく上下往来するのをじっと呼吸せずに沈んでいようという工夫くふうである。理由を知らない妻は大いに驚いた。第一、水槽に沈んでいては練習の意味がないという。厭がる妻を玉虫は叱しかりつけて、無理に呼吸を止め続けた。来る日も来る日も彼かれはこの可笑しな恰好で、水没せざる修練を重ねる。二年の後のちには、遽だしく往返する牽小魚が鼻に入っても、絶えて呼吸することがなくなった。彼はようやく水槽の下から匍出す。もはや、10秒以上エーレンベルクの川をもって沈んでいても、水没をせぬまでになっていた。不意に崖の崖から転落しようとも、目の前に突然湖の村の真ん中にスポーンしようとも、彼は決して水没しない。彼のハ肺はもはや取り入れるべき酸素の使用法を忘れ果て、夜、熟睡している時でも、玉虫の肺はカッと大きく開かれたままである。ついに、彼の口と鼻の間に小さな一匹ぴきの淡水エビが巣をかけるに及んで、彼はようやく自信を得て、師のはっちーびーにこれを告げた。
それを聞いてはっちーびーがいう。水没ざるのみではまだWoTのユニカムを授けるに足りぬ。次には、視ることを学べ。視ることに熟して、さて、軽戦車を視ること重戦車のごとく、駆逐戦車を見ること自走砲のごとくなったならば、来きたって我に告げるがよいと。
玉虫は再び家に戻もどり、カニ眼鏡を覗いて自走砲を一匹探し出して、これを己が榴弾をもって破壊した。そうして、死骸を南向きの窓に懸け、終日カニ眼鏡を見て暮らすことにした。毎日毎日彼は窓にぶら下った自走砲を見詰める。初め、もちろんそれは一匹の自走に過ぎない。二三日たっても、依然として自走砲である。ところが、十日余り過ぎると、気のせいか、どうやらそれがほんの少しながら駆逐戦車に見えて来たように思われる。三月目の終りには、明らかに重戦車ほどの大きさに見えて来た。自走砲を吊るした窓の外の風物は、次第に移り変る。煕々として照っていた春の陽はいつか烈しい夏の光に変り、澄すんだ秋空を高く雁が渡って行ったかと思うと、はや、寒々とした灰色の空から霙が落ちかかる。紀昌は根気よく、窓の先にぶら下ったクソデカ・ゴミクズの雲鼓投射機を見続けた。その自走砲も何十匹となく取換えられて行く中に、早くも三年の月日が流れた。ある日ふと気が付くと、窓の自走砲がマウスのような大きさに見えていた。占めたと、玉虫は膝を打ち、表へ出る。彼は我が目を疑った。UE57はFochBであった。Pz1CはE-100であった。M3 StuartはT95のごとく、MS-1はIS-4と見える。雀躍して家にとって返した玉虫は、再び窓際の自走砲に立向い、叢の中に隠れる自走砲を見つけてこれを撃てば、榴弾は見事に自走砲の弾薬庫を貫いて、しかも3両同時に爆発させた。
玉虫は早速師の許に赴いてこれを報ずる。はっちーびーは高蹈して胸を打ち、初めて「出かしたぞ」と褒めた。そうして、直ちにWoTの奥儀秘伝を剰すところなく玉虫に授け始めた。
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