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初めて?咲いた睡蓮:ハレ

 随分前、十年は経っていないとしても、もう何年も前の事ですが、ホームセンターで睡蓮を買ってきました。わが家には戦前番傘作りをしていた時、恐らく柿渋作りに使っていた甕がいくつかありますので、それに入れて早く咲かないかなと楽しみにしていました。一年経って咲かず、二年経っても、三年経っても咲かず、そのうちに睡蓮を買ってきたこともうち忘れて甕は雑草の塊、単にヤブ蚊の発生源になって仕舞いました。
 昨春、ヤブ蚊を少し何とかしようと甕を浚ってみたら驚いたことに雑草に挟まれながらも貧弱でかわいそうな睡蓮の葉っぱが一枚、二枚、健気にもまだ生きていました。死んだはずだよ…と思いながら、早速、雑草を片付けもっと日当たりのいいところに甕を移しました。肥料もあげて期待できるかと思いましたが、蕾を付けることはありませんでした。甕の口がそれ程広くなくてたくさんの葉を付けることは難しそうでした。
 今春、ある日、ふと甕を見るとなんと睡蓮が蕾を付けていました。いよいよ咲くかと思ったのですが、なかなか咲きません。暫く見ていて、分かったのは朝早くは蕾が閉じている。太陽が高くなった頃咲き始める。午後にはもう閉じてしまうという非常に開店時間の短い、何というかタカビーというか老人向きな花だったのですね、睡蓮は。笑ってしまいました。昼間、会社勤めの方にはお勧めできない花だと思いました。しかし、しかしですが、そう考えると、睡蓮を買ってきた頃、私はまだ昼間会社勤めでしたし、単身赴任の時もあり、今ほどじっくり甕を見ることもありませんでしたから、もしかしたら、その頃も睡蓮が咲いていたのに気付かなかっただけかもと思ったり、思わなかったり。真相は闇の中ですが。

 「知らぬが仏」という言葉があります。「知らない方が心穏やかに暮らせる」という人生訓(処世術?)として使われたり「本当のことを知らないで平気な人」を揶揄する事に使われますが、正に私は本当の事を知らないで平気でいたのですね。私は睡蓮を笑いましたが、睡蓮はきっと私を笑っているのでしょう。

 初代宮司・本山博はよく「智慧が足りない」ということを述べていました。現宮司も「考え抜く」事を奨励しています。ネットで様々な事を簡単に調べられる今日に、苗を買ってきてただ咲かない、咲かないと嘆いていた私には智慧も考えも足りなかったのです。
 また、私には実家が農家の友人がいるのですが、私がいろいろ苗を買ってきてもあまり面倒をみないので彼には「愛情が足りない」と言われます。

 玉光神社の御神訓第2条に「神は 愛と智慧をもってすべてを生かし 進化させ賜う」という教えがあります。神様のまねをすることが信徒の務めではありますが、睡蓮ひとつ取ってもなかなか教えを守っていないと感じる今日この頃です。