川上未映子新訳『たけくらべ』〜恋する者の鈍さと、される者の無関心

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池澤夏樹さん個人編集の『日本文学全集』もついに3冊目に。
※名作なので今さら過ぎる感じもありますが、ちょっとネタバレしています。


川上未映子氏による、樋口一葉『たけくらべ』の現代口語訳です。江戸情緒を残しながら明治へと移り変わる影絵のような花街。雨がしとしとふる路地に落ちた、ぽつりと1点だけにじむ鼻緒の紅の色。一葉のすばらしい色彩感覚を、まるで絵画のように味わえる名作です。


川上未映子さんの若々しい筆致により、少年や少女たちはまるで現代に生きる男女のように、いきいきと蘇っています。お話の主軸は、ヒロイン美登利と、彼女が憧れる信如なのですが、今回あらためて報われないサブキャラである正太の気持ちに寄り添ってみました。


正太は美登利の幼なじみで、彼女への親愛を不器用に表現しつつもけして報われない、ストレートに言うならば当て馬キャラです。


正太は確かに恋愛には疎いし、あと何かとタイミングが悪いのです。肝心の時にいなかったり、美登利の態度の変化に気づかなかったり…でも親分肌でもあるし、内心ウジウジしている信如に比べたら 明らかに精神的にはイケメンです。


美登利もそんな正太を信頼していて、一緒に散歩するシーンでは家庭のことで落ち込んでいる彼を励まそうとします。


「なあ正太さん、祭りのとき、すっごくかっこよかったよ」


「すごく似合ってて、わたしうらやましかったな。もしわたしが男に生まれていたらさ、あんなふうにしてみたいって思ったもん。誰よりも、いちばん、正太がかすっごくかっこよかった。」


正太はこう思ったはず…ここまで言ってくれて、このは俺に気があるんじゃないか…と!


でも違うのです。…悲しいかな、この台詞の中には1mmだって恋の気配は存在していないのです。なぜなら、女の子は恋する相手を羨ましいとは思わないから。ましてや「男に生まれたら、あなたみたいになりたい」…それは「恋愛対象外です」と言われているに等しい。正太、気づいて!


しかし初心な正太は気がつかないまま物語は終盤へ。美登利は、自分を励まそうとする正太にこんな風に言う。


「…帰ってほしい正太さん、お願いだからここにはいないで、かえってほしいの、このままそこにいられたらわたしはきっと死んでしまう、…」


好きな相手を励まそうとして、ここまで言われてしまう正太よ。この場面は、前半の美登利が正太を励ますところと鮮やかな対比をなしているのではないでしょうか。


美登利と信如の震えるような心のやり取りの遥か後ろで、モヤに閉ざされ一人だけ状況が見えない正太。恋するがゆえの鈍さは、恋される者の悲しいまでの無関心の前に、ひとたまりもありません。


大人になった私たちは、さまざまな事情で気持ちを押し隠すことに慣れています。それでも、青春の心の震えが鮮やかに刻まれたこの美しい小説に、自分のわずかに柔らかな部分が揺れ動くのを感じます。大人になってからこそ、読みたい一作です。

青空文庫〜「樋口一葉 たけくらべ」

※2018.3.25 改稿

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