【読書】「本当の自分を、誰もわかってくれない」の理由~残念ながら、他人の評価が概ね正しいのです~#351
おはようございます、tamamioです(^^)皆さんは、他人から見られる姿にギャップを感じたことはありませんか?
私は昔、よく「落ち着いてる」と言われることがあり、それがイヤでした。
今回は、どうして人から見られる自分と、自分が思う自分にギャップがあるのか、について発信します。
1 この爽快感が好きで、読書をするのです
本日のおすすめ本はこちらです、ドン!
本当に面白かったです!「あっ!そうなんだ!」と、分かってスッキリ!すごく納得!
この現象がどうして起きるのか分かる。それって、すごくうれしいことで、これが私にとっての読書の醍醐味です。そんな爽快感を体験させてくれる両書です。
ちなみに、Audible会員なら定額内で聴くことができるようです(^^)
2 めったに起きないことは印象に残る
本書のどこに「爽快感」を覚えたか。以下の箇所です。
これだけだと「何?」ってなると思いますが、簡単に言うと、飛行機事故とかめったに起こらないことは大ニュースに残り、印象に残ります。
印象に残るがゆえに思い出しやすくなり、「飛行機事故はよく起きるんだ」と思い違いをしてしまうのです。これを「利用可能性ヒューリスティック」と言います。
3 自分と周囲の認識が一致しない理由
この「利用可能性ヒューリスティック」が、自己認識にもあてはまるそうなのです!
筆者の好きな岸田秀氏という精神分析学者がいます。岸田氏は、自分のことを「謙虚な人間である」と思っていたのですが、周囲は岸田氏を「まったく逆の人間」と思っていたらしいのです。
よくある話ですよね。そのからくりを、著者の鈴木氏はこう分析します。
面白い!これは著者・鈴木氏の考察にすぎませんが、納得です。
4 このギャップが「誰もわかってくれない」の正体?
まじめで几帳面で”ザ・A型”みたいな人が、「いや、私ってホント雑ですよ」とか言うこと、あるじゃないですか。
今までは「謙遜かな」って思っていたのですが、これで納得できました。
ザ・A型の人は、生来の「まじめさ」は初期設定であるがゆえにスルーして、稀に発揮される「ずぼらさ」を強く強く印象に残しているのです。
外側の人間(私たち)は初期設定の「まじめさ」の方を日常的に見ているので「まじめだなぁ」と印象に残っているのですが、本人はそうではない。
このギャップが「誰も本当の私をわかってくれない」の正体かも!
5 「自分評」を真に受けてはいけない
結局、「自分のことは自分ではよくわからない」ということなのでしょう。
自分を知りたければ、近しい人に聞き、それが概ね正しい、と。
逆に、他人が「私ってこういう人間で・・・」というのを信用しない方がいい。他人がどういう人か知りたければ、「その人の姿」を見ることです。
成功者が「私はいい加減で」ということがありますが、あれは真に受けないほうがいい。いい加減だったら、成功するわけがない。
成功する人は、勤勉さ、誠実さ、社交性、能力、そういったものが初期設定で、あるいは努力して手に入れているのです。それを日常的に使いつつ、稀に「いい加減さ」を発揮している。
それだけの話なのかな、と。成功したければ、やっぱり努力しないと、誠実にふるまわないと、人に親切にしないと。近道はない、と思いました。
ここまで読んでいただき、ありがとうございました!読書って、やっぱり楽しいですね!
では、今日も素敵な一日を!
私の創作活動の糧は「読書」です。より多くの書籍を読み、より有益な発信ができるよう、サポートいただけると嬉しいです。