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とある日①

(これは数日前に、寝れなくて眠くなるまでつらつら書いた文章の下書きから、意味わからんこと言ってるな。)

夜更かしをしようと意気込んで、夜更かしを始めた。

現在、夜中の1時過ぎ。

いつもは眠たくなっているはずの時間だけれど、今日は何だか眠たくなくて、というか寝たくない自分がいるので、映画を一本観て、そろそろ寝なくちゃなとは思いつつも、まだなんか違うなと思い、床の上でこんなことしている。

ところで私はおかしいのだろうか。

唐突すぎて自分でも??だけど、生きているとそんなことばかりでしょう。突発的で刹那的な出来事の連続じゃないっすか、ねぇ。

私は毎日、自分についてひたすら研究をしているけど、未だによくわからなくて、そして未だに好きになれない。

街を歩いていると、この後自分がすべき行動があるとして、その行動をより効率良くするためにその手前で自分が取るべき行動のパターンの選択肢をいくつか想像するのだけど、昔は一番効率の良い行動を素直に実行していたはずなのに、最近は色んな要因から、常に最適ではない方の、2番目、3番目の選択をするようになっている気がする。

頭の中では、何でそっちにした?と呟く自分がいるのに対し、心の中ではわりと納得してくれている自分がいて、常に混乱がそこにはあって、本当に意味がわからなくなる。

心と頭が解離しすぎている、というかそれぞれが全く私のものじゃないと思う瞬間もあるし、この二つが共存していたという記憶もあまりない。

心は歳を取っても、ときめきを維持しようと思えば維持できる気がするが、頭は年々しっかり歳を取ってシワが増えて、なるべく無駄で不必要な感情を排除しようと、ときめきというワードすら拒否しようとしている気がする。

そろそろ眠くなってきたけど、ここでは終われないな…。

前述した【私はおかしいのか】についてなのだけど、私はおかしくありたい自分と、普通でありたい自分、どちらがより自分を長く生きさせるかについて最近よく考える。

常軌を逸した、万人には不可能な、なんて言葉に憧れまではしないが、惹かれるものはあるし、常に他の人と違うことをしたいと思うし、普通のことしてたらつまらないと思っちゃう人間である。

でも普通が居心地いいと思う瞬間が増えてきてしまって、それが大変ムカつくのだけど、その普通で今成り立つ幸せばかりで、避けられなくなってきたのが現実である。

娯楽は大事だし、人も時間も大事にしたいから、普通に生きてた方が波がなくて良いのでは?となるけど、それだと心の死に気づかぬまま、歳を取っていく気がしている。

一向に終わる気配のない思考…。

私は私について深く考えすぎなのかもしれない。生きることに悩みすぎなのかもしれない。死に近づくことについて考える必要などないのかもしれない。


今日も何もわからないままだった。

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